甕のなか

 私の田舎には金魚を食べる風習があって。
 いや、違うの。毎日じゃなくてね、そういうお祭りだと言えばいいのかな。「お祭り」とは誰も言ってなかったし、そういえば、名前もちゃんと決まってなかった気がする。「金食(きんじき)」とか、「赤払い」とか、人によって呼び方はいろいろだったな。とにかく、「この日は金魚を食べる」って決まっていた日があるの。
 だから、みんな家に金魚を飼ってたの。金魚鉢の家もあれば、ちゃんと水槽とポンプを使った本格的な家もあったし、庭の池に放してた家もあった。たぶん、家によっては自分が育てた金魚を食べるのを嫌がった人もいると思うから、販売する業者みたいなのもいたんじゃないかな。でも、そういう人はあんまり表に出てこなかった。だから私も、子供の頃は、金魚は食べるために育てているんだって認識だった。
 なんか、自治会長みたいな、とにかく偉い人が食べる日を決めるの。だいたい冬。一月とか、二月とか。年末に掲示板に日付が貼られて、ああそうか、もうそろそろ金魚を食べる日だったかあ、今年も終わりだなあって思うの。
 九歳の頃に飼っていた金魚の名前は「ウイ」と「コイ」にしたんだ。金魚なのに「コイ」って変だけど、私としては、「初恋」から名前を付けた。「初」を「ウイ」って読ませて。その時、好きな男の子がいて、同じクラスだった子。足が速くて、遠くまで響く、いい声をしてた。その子から分けてもらった金魚だったから、なんか、記念にしたくて、そんな名前に。恥ずかしいよね。
 男の子の名前はクロウ君って言うんだけど、「九」に「郎」で九郎君。別に九人兄弟ってわけじゃなくて、お父さんが義経が好きだったんだって。上に年の離れたお兄ちゃんがいて、その人はもうその頃は東京の大学に進学しちゃってて。決して大きくはない家なんだけど、瓦で葺いてあって、立派な大黒柱があって、そして庭が広かった。古い桜の木が一本植わっていて、ヤマザクラ、春にはとてもきれいだった。金魚はその庭の隅の、いくつかある陶器の甕の中で飼われてた。今年の金魚はどうしようかなって話を私がしたら、九郎君が、うちにいっぱいいるからどう?って、誘ってくれて。嬉しかった。でもその後で、他の子にも誘ってたから、ちょっとがっかりしたこと、覚えてる。
 もちろん金魚は生では食べない。他の家はよく知らないけど、うちは唐揚げにして食べてた。まず金魚を小突いて失神させて、腹を裂いて内臓を取り出すの。冬だから動きは鈍いし、作業は本当にすぐ終わる。あとは鱗をとって、鶏の唐揚げを作るのと同じ要領で、衣をつけて揚げる。うちの家は、衣に柚子胡椒を入れるのが隠し味だった。そのせいか、今でも家には柚子胡椒が常備してある。
 九郎君の家からもらった金魚は元気で、二週間ぐらいしたら、もう私の顔を覚えてくれた。金魚って、顔を覚えるんだよ。私が近づくと、近寄ってきて、口をパクパクさせるの。餌をくれる人は覚えていられるんじゃないかな。「ウイ」の方が引っ込み思案で、「コイ」の方が強い感じだった。たまにケンカしてるところを見ると、いつも「コイ」が勝ってた。
 だけど、食べる日は、「ウイ」の方がいつまでもじたばたしてた。「コイ」はすんなり包丁を入れられた感じ。結局、何度かまな板から落っこちたんだけど、お母さんが苦労して唐揚げにしてた。おいしかったけど、さすがにちょっと切ない気持ちになったかな。
 九郎君の家が焼けたのはその日の夜で、隣町から何台も消防車が来ていて、夜中のあいだずっと騒がしかった。私も見に行きたかったんだけど、お父さんから止められて。でも、部屋の窓から、遠くに、赤い炎が立ち上る様子は見ることができた。誰もケガしなかったみたいなんだけど、家は全部焼け落ちちゃって。あのヤマザクラも。たぶん、金魚も。九郎君はそのまま、東京へ行っちゃった。それが九郎君を見た最後。
 だから、久しぶりに実家に帰ってきて、九郎君の家の場所に行ったら驚いちゃって。家が建ってたの。同じ家が。瓦葺きの、大黒柱の、ヤマザクラがきれいな、広い庭。九郎君のお兄ちゃんが建てたんだって、お母さんが言ってた。酔狂、ってお父さんは苦い顔して言ってた。
 私、とりあえず行ってみたんだけど、門がかたあく閉まってて、誰かいるのかもわからなかった。カラスが一匹、何かを盗みとるように家をきょろきょろ睨んでいたけど、何もないとわかったのか、どこかへ行ってしまった。ばさばさって、声一つ立てないで。
 でも、甕はあったの。私はどうしても中を見てみたくて、塀を乗り越えた。大きな甕が、三つ。有田焼みたいな柄の。あの時と同じ。恐る恐る覗いてみたんだけど、中には金魚はおろか、水も入っていなかった。空っぽで、がらんとしていて、もし縁を叩いたら、すごくいい声で響きそうだった。だけど私は叩かなかったし、それきり、九郎君の家には近づかなかった。
 もう、私の田舎では誰も金魚は食べていない。年末の掲示板は、火の用心のポスターだけが貼られている。