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さかさ近況㉔

最近読んだもの、見たもの

『学校するからだ』矢野利裕(晶文社)

 現役の中学校の先生だけれど、評論の分野でも活躍している矢野先生のエッセイのような学校「身体論」。
 とかく今や学校というとブラックだとか人気がないだとか、ネガティブでありきたりな方向に流れていく中で、この著者の視点はとても面白かった。先生や生徒を取り上げて、彼らの挙動や考えをひとつひとつ解剖していくのは、まさに批評的で、こういう視点で学校を眺めること自体が新鮮だった。
 これは私の個人的な感覚だけども、3章の「教員」で、ひとりひとりの教員のいろんなことを考えていくよりも、他の章での生徒たちの言葉や行動を見ていく方が新しく、魅力的なように思えた。たぶん、私自身が「教員」というものをあまり好いていないせいだろうが、「こんな先生いるよね」みたいな話は形は違えど巷に流布しているからかもしれない。最初の「shhhh…」というサッカー部の挨拶の部分なんか、なるほどなあと思うし、予定調和的な教員と生徒のやりとりに潜むものを丁寧に分解していく文章はスリリングでもあった。

『スモモの木の啓示』ショクーフェ・アーザル 著/堤 幸 訳(白水社)

 イラン人の作家の作品というものを、もしかしたら私は初めて読んだのかもしれない。そして、初めて読んだのがこの作家でよかったと思えた。
 「イラン・イスラム革命に翻弄される一家の姿を、13歳の少女バハールの語りで描く」という紹介だが、そもそもバハールは序盤で死んでしまっていることが語られる。しかし、この物語において生者と死者の境界は曖昧で、そして時間も場所も飛び越え、縦横無尽に物語は駆け抜けていく。手触りとしては『百年の孤独』に近いマジック・リアリズムで(本作にも出てくる)、しかし、現代イランの抱える諸問題を、かなり赤裸々に描いている。でも、幻想的なのだけれど、それは常に現実と地続きというか、そこの区別にあまり意味がないのでは、という書きぶりで、ずっと圧倒され続けた。
 読んでいて感じていたのは、当事者性という問題で、ショクーフェ・アーザルは2011年に政治難民としてオーストラリアに亡命したそうだ。原著はペルシア語で書かれているが、邦訳は英語訳を元にしている。そして、英訳者については素性が明らかにされていない。これは身の危険を感じてのことだろうということ。作者とテキストという話はいつもついて回るが、例えばこれを日本の作家が同じように書いてみせても、それは受け入れられないだろう。世の中にはこういう物語があるし、そしてこういう物語があるべきなのだなと感じた。

『アホウドリの迷信 ――現代英語圏異色短篇コレクション』岸本佐知子・柴田元幸 訳(スイッチ・パブリッシング)

 岸本佐知子さんが好きなのと、「オール女子フットボールチーム」がずっと読みたかったので読んだ。訳者自身も言ってるけど、幻想強めの短編が並ぶラインナップで、かなりよかった。お好みは「オール女子フットボールチーム」「大きな赤いスーツケースを持った女の子」「アホウドリの迷信」「最後の夜」。
 特にローラ・ヴァン・デン・バーグ「最後の夜」はよい。シスターフッドテイストの物語で、「私が列車に轢かれて死んだ夜の話をしたい」から始まり、すぐに「そんなことは起こらなかった」と続き、んん?となりながら読むと、自殺未遂の治療をする施設に入った私が、他の子と夜中に抜け出して…という展開が、ああなるほどなあという感じになって、大変良い。
 柴田さん岸本さんの競作余話も、たいへんおもしろい。柴田さんが、英語圏の小説は細部を大切にして、日本は物語を語るところにエネルギーを注ぐ、だから「いまひとつなものはあらすじを読んでいるような気になる」というのは、確かになあと思いました。今回は幻想味の物語が多かったわけだけど、お二人が指摘しているように、丁寧な細部の描写が、それを支えているというのは、自分も気をつけて書きたいなと思った。

趣味がない

 他の作家さんのツイートを見るようになって、みなさん多芸に秀でているなあと感じる。音楽であったり、書字であったり、言語であったり、自然科学であったり、本業の方もいれば趣味でずっと続けているような方もいる。
 私はとにかく趣味がない。というかかなり飽きっぽい。長年続けていることがこれです、みたいなことがない。これはけっこう、創作者としては致命的ではないかと最近感じている。なんかこう、クリエイティブな感じがしないし、こう、みなさん作品に、自分の好きなことを詰め込んでいるので、そういうのが自分は難しい。ある分野について書こうとすると、資料を読んで書いてみたいなのは大変である(でも資料を読むのは好きだからまあいいか)。
 小説は業務に移行しつつあるが、これはまあ、小学生から続けているから、一番長い趣味かもしれない。でも、すごいこだわりがあるかと言われるとどうかな…例えば「筆を折らなきゃお前の家族がどうなるか…」みたいな感じになったら、はいはいどうぞうどうぞ折ります折ります、みたいになっちゃうかもしれない。前にオードリーの若林氏がオールナイトニッポンで、「なんかすべてがどうでもいいんだよね」みたいな話をしていたことがあって、それわかるなあと思った。いい意味でも悪い意味でも何かに対する執着は薄いのかもしれない。
 とは言っても書くのは楽しい。とりあえず暇さえあればなにを書こうかなあと考えているので、「やーめた」となるまでは、楽しんでやっていきたいなあと思う。

濡れおじの二次創作を書いた

 えち賞アンソロの表紙でもある石橋濡久(すごい名前だ)の二次創作を書いてみた。そうか、こうして二次創作というのは生まれるのだな、という感覚がとても新鮮だった。たいへん石橋は魅力的である。アクリルスタンドも楽しみにしている。

タマってる

 自分史上いちばん告知がたまってる。けっこう先の予定まで埋まってきている。ありがたい話だ。先の掲載予定なんかのお知らせは直近のことが多いので、言えないことがたまっていく。王様の耳はロバの耳と穴の中に叫びながら暮らしている。乞うご期待。