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折り重なる、春

「どう、これ、東京ひよこ」

と娘が消しゴムほどの粘土細工を見せに来た。

「おお、東京ひよこ、だね」

色を塗った方がいいかな、と言いながら、娘は居間へ戻っていく。

これが長女で、2日前に小学校を卒業したばかりだ。娘はもう一人いる。3歳年下で、発達グレーゾーンと呼ばれ、手先を使う手芸はほとんどやらない。

田舎の小さな小学校の卒業式は、クラス替えなしの6年間を過ごした34名が同じ中学へ進むだけのもので、内容もかなりの短縮版。とはいえやはり、本人や家族にとっては切なさと晴れやかさが混ざる、特別な時間だった。

この辺りの卒業式では、数年前に晴れ着を着ることが禁止された。だから、みんな慣れない上にサイズのおかしな制服を着ている。

誰もが「晴れ」の顔をして、練習を重ねたカクカクとした動きで証書を受け取り、それが終わると校長先生が、これまた普段のトボけた味わいを一切廃した生真面目な式辞を披露した。

静寂の中で、演題の中から透明で安っぽいプラスチックの台を丁寧に取り出して、自筆の色紙を立てる。

不易流行

「不易流行」という言葉があります。時代は常に移り変わっていく。何もかも変わっていくようだけれども、決して変わらないものがあります。そして、変わってはいけないものがあります。みなさんには、そのどちらも大切にしながら、どちらも忘れずに、大人になって欲しいと思っています。

大まかに、そんな意味の式辞だった。

時節柄、在校生の列席はなく、来賓はPTA会長と市長の代理をする教育委員(不思議なかぎばあさんとフジ子・ヘミングを足して2で割ったような、真っ黒なワンピースの女性)の2人だけ。保護者の出席も各家庭2名まで、というお達しがあった。

うちの主人はカメラマンという名のサラリーマンで、この日は他の小学校の卒業式を撮影するため不在である。ただでさえ寂しい体育館に、仕事とはいえ空席はもったいないと、同居している義母を誘って、代理で出てもらうことにした。

晴れの席で、少し気後れしながらも保護者席に座る義母が、目の端に映る。

やはり「自分の母も呼びたかったなぁ」という思いがチラリと頭を掠めてしまう。そんなことは、絶対に無理なのだけれど。

昨年、妹が父を看取ったその日の夜の、ピタリ半年後の夜中に、母の体調に異変が起きた。

「あのねぇ、体が動かないの」

母が私の携帯に電話をよこしたのは、明け方の4時20分だった。

「救急車を呼びたいけど、体がぜんぜん動かないのよ。鍵が閉まってるのに、来てもらっても玄関まで行けないから」

言葉も少し聞き取りにくい。妹が父を施設へ入れてから実家で一人暮らしをしていた母は、深夜に多忙な妹を起こすのは気の毒だからと、自分なりに考えてこの時間を選び、同じ県内に住む彼女ではなく、長女の私に電話をかけてきたのだ。

「勝手口の鍵は、いつもの場所にあるんだよね」
「ある」
「そしたらそこから入ってもらうように言うから、動かないで」

動けないよ、それから、寒い、と母は言った。寝る前に半身浴をした後からおかしくなったらしく、何とか寝巻きに着替えたけれど、冷えてトイレへ行き、そこから何とか這って電話のところまできて、それっきりなのだ、と。

救急車は光の速さで母を包んでくれた。

119に電話しても、他県の救急に取り次いでもらうことはできない(番号は教えてくれるので、いったん切ってかけ直す)こと、明け方の首都圏では病院の選択肢も多いため、運が良ければマッハで処置が受けられること、そして、脳梗塞で何より大切なのは、発症5時間以内しか使えない、魔法のように効く薬を、使えるうちに投与できるかどうか、それが社会復帰できるかどうかの大きな分かれ道であることを、私は学んだ。

実家から高速で1時間ちょいの所に住んでいる妹が、搬送先に駆けつけたのが6:00ごろ。

「もう無理なんだって」「その薬は」

その日から、母は病の人となった。

「不易流行」

この晴れやかな卒業式の様子を、ベッドの母が片手で読めるように伝える術を、私は考えていた。私の後ろの列には義母が、少し丸くなった背中で座っている。同世代のふたり。どうしても、どうしようもなく、考えてしまう。

「変わらないこと」の重さを。

写真やアルバムでは嵩張るし、滑るだろう。大部屋のベッドの枕元には置けない。何より落とした時に拾えないことが、いまの母にはストレスになる。

娘が書いた卒業アルバムの作文の、下書きがある。A4サイズだ。あの紙の裏に、手紙を書こう。広げやすいように大きく三つ折りにして、集荷に間に合うように、本局のポストに入れに行くのだ。

式辞が終わり、神妙な顔でお辞儀をして、燕尾服の校長が演壇を降りる。今年で定年を迎える先生の、最後の背中だ。

病院のカンファレンスに出た妹から連絡が入る。父が晩年を過ごした施設の空き待ちに、母ちゃんも申し込むことにしたよ、とのこと。

あれほど母を苦しめた父と同じ場所に移ることを、母は拒まなかったそうだ。

このタイミングで、父の葬儀の様子を書いた文章を、よりにもよって「岸田奈美さん」と「西智弘先生」お二人にすくいあげて頂いたことに、気持ちがまとまらない。

男泣きの担任に渡されたチューリップの花束を持って、子どもたちが退場していく。修行を終えたような晴れやかな顔をして、青空の下で、今から思い思いに写真を撮るのだ。


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