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この週末に思ったこと

なんでみんなこの世界の真理を「これだ」って語れるのかなって不思議に思いながらnoteを眺めてこの週末も過ごしていた。「これだ」って思えるくらい相当書籍を読んだり、その種の情報を集めて知識を付ける努力をしているのだろうけど。自身には体感できないことに対しても「これだ」と言い切れるって、どのように世界がみえているんだろう。

X(旧Twitter)に比べて、比較的考え方や、感性、ものごとの表現の雰囲気が似ている方を見つけやすいので、フォローさせていただいたり、どういう仕組みかわからないけれど「おすすめ」に出てきて、なんとなく気が向けば文章に目を通したりする。

いきなり外に出て、周りを見渡すよりも感性の近い人たちは多いはずだと思っているから。

何にも興味が沸かず、過去にやってつまらなくなって止めてしまったものをもう一度やろうとか考えたり、noteの記事を読みながら、なんかやってみようって気になる物事がないかを探す。

この前書いたけれど、このクソみたいな世界が変わってからでないと自身の出番がないなら、それまでの間ゲームでもやって時間をつぶしていようかと思って、Amazonで新品のPS4を購入したら中古のDランクとしか言えないような同梱物も足らない、衛生的にも問題がありそうな商品が届いた。幸い、Amazonサポートセンターの日本語を話す中国のオペレータの方の機転の利いた丁寧な対応のおかげで返品できることになった。

このことから判ったのは、一つは相変わらず世界はクソだっていうこと。もう一つは『自身はこの待機期間もゲームはするべきではない。』という何かの意図のようなものがあること。

先月から本格的に都心で暮らし始めたけれど、外で耳にする日本人の会話が全く聞き取れないことが間々ある。周辺は海外の滞在者も多いので様々な言語が飛び交っているけど、明らかに同朋の話す「日本語(のような言葉)」までは判るのに、何を話しているのか全く聞き取れない。

以前、学生の砕けた会話が何を言っているのか判らないことはあったけれど、少し経てばその一瞬がちゃんと聞き取れていなかっただけなんだって気が付いて、その後からは会話を理解していた。

夜、腕時計の奏でる秒針の音も気に障るので寝る前にリュックの中に放り込んだり、冷蔵庫の音が毎度の事ながら不快で仕方がないので、今回引っ越した家には冷蔵庫を置いていない。これはいつまで続けられるかは判らないけれど、このレベルの聴覚過敏を持っているので、外で身を守らなければならない、他人の会話、音としての声が聞こえていないはずがない。

逆に、言語、方言関係なく、最初から最後まで聞き取れる人も1割くらいいる。

強い拒絶から隔たりを作って、聞こえなかったことにしようとしているにしても、最初から最後まで会話の一部始終を同じように無意識の隔たりを作っていても理解できるほどに聞こえてくる声も1割ある。

一体どういうこと?

こんな選んで来た覚えもないようなクソ下らない世界で、全く興味がないクソ世界の動きに対しても東京、大阪で利権主義の売国クソ政府に対して大規模なデモがあった情報はしっかり入ってくる。自身が見切りを付けてから3年も経ってって思ったけど。

「これだ」って言いきっている人たちの世界の見え方に沿って当てはめてみると、自身と同じ波長、同じ次元、同じ世界線で会った人の声しか聞こえなくなってきたのかな?って無理やり思ってみた。

しらんけど。

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