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満月の前

毎年というのか、年に何回か、生きている(感覚としてはこの物質世界にいること)ことに強く悲観的になることがある。「あ、まただ。」って思って月齢カレンダーを見ると決まって満月の前。

このことが判ってから、この時期に不安定な『こころ』から自分を制御できなくなって、職場でふつふつと溜まった怒りを爆発させることはなくなった。「他人」は結局「他人」この『こころ』が軋む苦痛は理解してもらえない。理解してもらおうなんて思うのは疾うの昔に諦めた。それなのにこんな風に文章にしているのもおかしな話なのだけど。

今回、7月21日の満月を迎えようとしているのだけど、今までとは違う強さで「キツイ」って感じている。この違いが何なのかは判らないけれど、「死」というより「この物理空間から遮断された空間(時空?)」に避難して外的な干渉がない状態で『こころ』をしばらく(この物理世界の時間では数百年になるのか、数万年になるのか判らないけれど)休めたいという感覚。仕事も、今住んでいる家、自身の所有?物なんかは綺麗さっぱり金輪際の関わりを断って、物質的な自身を含めて消えてしまっていい。唯一の肉親である娘はどうでもいいわけではなくて『今』である必要はなくて、どうせ時間?を変え、形?を変えて繋がっているものなのだからというような。

今朝は流石に「キツイ」と感じ、休暇を取ろうと迷ったけれど、一定量こなしておきたい仕事があったので出社。契約先の仕事、業務の遂行に支障が出ると感じる物質的な症状の「体調の悪さ」頭痛だとか、潰瘍だとか、立ちくらみだとかが『こころ』の不安定さから「幻覚」として感じているのか、「物理的」に生じているのかが判らなくなって、何度も『「物理的」だろうが「幻覚」だろうが、「今」具合は悪いよな?』と自問自答。「嘘」や「仮病」ではないはずと、思いながらも予定していた作業を終わらせ、一旦自身の手を離れたところで体調が悪い旨を報告して退社させてもらった。

社屋を出ると、昼下がりの灼熱の光が。体調云々はあるものの「仕事」という拘束からは開放された。その気になれば書店で何か『こころ』の栄養になりそうな書籍を探しにいくこともできたけど、食料品だけ購入して帰宅。シャワーを浴びて、ベッドに横になるとさっきまで寝てしまっていた。多分いろいろ限界なんだと思う。

物質世界は今日も騒がしくて。

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