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それは身に余るほどの贅沢だった

1月、大好きな人の彼女になった。
10月、私はもう誰の彼女でもない。


映画のタイトルを借りるとすれば、
私は紛れもなく花束のような恋をしていた。


毎週のようにデートをした。
何度も手作りのお菓子を作り合った。
お揃いのものは箸やコップだった。
デートで待ち合わせる時だけ見せてくれる
やけに嬉しそうな顔が好きだった。
彼の幸せは私の幸せだった。


でも私はその花を枯らしてしまった。
枯れた花はもう元には戻らない。


私の自信のなさは、依存は、花から栄養を奪って、きっと彼を苦しめた。


彼は本当に私のことが好きなのだろうか
自分がいなくても彼は生きていけるんじゃないか


それらの私の不安は、彼なりの愛情を否定してしまっていたことになぜ気づけなかったんだろう。


彼に別れを仄めかされていた二週間


ぽっかり空いた穴は想像以上に大きくて、
この世の終わりくらい泣いた。


毎日の小さな事象に一つ一つ「幸せ」という名前を付けなければ壊れてしまいそうだった。


でも気づいたのだ。


彼との時間以外にも幸せはあって
自分の人生は自分の意思で豊かにできるということに。


私はそれに気づかずに、
心の栄養を彼だけから吸い取ろうとしていた。


気づいた時にはもう手遅れだった。


もう振られることはわかってた。


だから私は髪をダークブルーに染めた。
彼が次は青にして欲しいって言ってたから。


収入の柱を増やしてたくさん仕事した。
魅力的な女性になれば変わるかもしれない未来に期待して。


2キロ痩せて美容に時間をかけた。
最後に彼の目に映る私は一番綺麗でありたかったから。


お互い泣いて、最後に笑ってお別れした。


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私の名前は花が咲くに子供の子という漢字を書く。


私の父は
「野に咲く花はなぜ美しいのでしょう、考えなさい。」という言葉を赤子の私に書き遺した。


彼はこの恋を通して、別れを通して、
咲く花が美しい理由を教えてくれた。


私は、人生を通して、
咲いても、枯れてもなお美しい人間でありたい。


そして彼がこれからも幸せであることを
心から願っている。



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