【読む映画】『裁き』

「共謀罪」廃止への新たな闘志のために

《初出:『週刊金曜日』2017年6月30日号(1142号)、境分万純名義》

「兄弟たちよ 聞け/大混乱の始まりだ/立て 反乱の時はきた/己の敵を知る時だ」
 インド・ムンバイ、低所得層の家屋がひしめく下町の一角につくられた素朴なステージで、痩身ながら鋼のような印象を与える男が、聴衆に挑みかかるように歌う。

 ステージ後方にひときわ大きく掲げられているのは、インド憲法起草者で初代法務大臣、B・R・アンベドカルの肖像画。この催しは、アンベドカルもそのひとりであった「ダリット」、つまりかつての不可触民が虐殺された事件の抗議集会のようだ。
 やはりダリットである歌い手の名はナーラーヤン・カンブレ、65歳の「民衆詩人」で人権活動家である。

 インドで詩という場合、たんに読むものというより、メロディをつけて歌うそれをさすのがふつうだ。そして民衆詩人とは、大道芸人のように路上でもどこでも場をつくり、政治や社会の不正を、プロテストソングというかたちでうったえる人びとのことである。ムンバイは、そうした民衆詩人の活動が盛んな地域のひとつだ。

 カンブレの歌が転調して、いよいよ盛りあがろうとしたそのとき、いきなり「中止、中止!」と警官隊が割りこんでくる。
 その場で彼は逮捕され、やがて起訴された。いったい何の容疑か。

 これより少し前、マンホールから下水掃除人の遺体が発見された。
 警察は自殺と断定したが、それはカンブレの歌に唆されたものだというのである。
 有罪と認定されれば最長10年の投獄および罰金を科される犯罪だが、カンブレはそもそもそんな歌を歌った覚えがない。いうなればバカバカしい、言いがかりとしか思えない訴追だが、無事に無罪を勝ちとれるだろうか。

 本作は、この刑事裁判を主軸にした法廷ドラマではある。
 だが、合い間に弁護人・公訴官・裁判官という、カンブレ裁判に関わる法曹の私生活が少なからず盛りこまれ、それらが裁判の進行につれて高まるはずの緊張感をそいでしまう。法廷シーンにしてから、長たらしい条文を公訴官がだらだら読みあげるなど、本来なら大きく編集の手を入れるべき描写を、わざわざ入れる。
 これは、27歳の初監督作品ゆえの未熟さと考えるべきだろうか、それとも?

 監督チャイタニヤ・タームハネーは、本作がオスカーへのインド代表作品に選ばれたためもあり、本国のメディアからおびただしい取材を受けている。

 それらを可能な限り調べてみたが、このような作品をつくった監督ならやりそうな、刑事裁判制度への問題指摘はほとんどない。わずかに、有力ネットメディア『Rediff.com(レディッフ・コム)』に「インド司法における悪夢を、従来の法廷モノとは違うかたちで描きたかった」と答えているぐらいだ(2015年9月23日付)。
 しかし、そこで挙げているカンブレのモデルになった事件(注)を吟味してみると、あえて口にしないのではないかと思われる、最大の論点がうかがえた気がした。

注 たとえば、主要日刊英字紙のひとつ『Indian Express』に詳しい記事がある(2016年1月10日付)。
 カンブレのモデルとなった実在の人物は、東インド・ジャールカンド州都ラーンチー出身のアディヴァシ(先住民族)男性、ジーテン・マランディさん。
 彼の名前が、マオイストと呼ばれる極左ゲリラのリーダーと似た名前であったことから、2007年に起きた州政府要人ら19人殺害事件の首謀者という疑いをかけられて、2008年に逮捕・起訴され、ラーンチー地方裁判所の1審で死刑判決を受けた。
 冤罪を訴える妻アパルナさんをはじめとする支援者の必死の努力もあり、死刑判決から1年後の2011年、ジャールカンド州高等裁判所が逆転無罪判決を言い渡した。
 これに対して州政府は、ジャールカンド州犯罪規制法という別の法律を根拠にする予防拘禁を、いわば「報復的」に適用したため、ジーテンさんは、2013年に釈放されるまでかれこれ5年に及ぶ不当拘禁を強いられた。

 劇中で引用される多くの法律のひとつに「UAPA(Unlawful Activities (Prevention) Act)」がある。

 ちなみに試写段階では、UAPA に「破壊活動防止法」という訳語が当てられていた。これではおのずと同名の日本法を連想させ、適切とは思われないので、宣伝担当者を通じて配給会社に疑義は出しておいた(最終的にどう処理されたかは未確認)。

 UAPA は、インドにおけるテロ対策諸法令のなかで、最も主要な法律である。
 折しも2017年は施行50周年で、この廃止を目指そうとする現地の人権団体の機運も高まっていた。なぜなら同法は、インド憲法が規定する言論表現の自由や集会結社の自由を制限し、適正手続を極端に無視する内容を有しているからである。

 同法が定義する犯罪の範囲はきわめて広く曖昧で、「愛国心を損なう、または損なわせしめる行為」といった規定まである。物理的強制力のない言論や演劇、音楽、舞踊、絵画なども、治安当局がそうみなせば処罰対象になってしまう。
 また、令状なしの捜索や180日までの拘禁、保釈の大幅制限、被疑者・被告人側に課される立証責任(通常の刑事事件とは異なり、有罪推定されるためである)、匿名の目撃証言の採用と非公開裁判などの、深刻な問題点。

 実際の運用を見れば、ダリットをはじめ宗教的少数者のムスリム、民族的少数者の先住民、かれらの人権を守るために活動する学者・ジャーナリスト・人権運動家といった市民が狙われ、多くの冤罪をうみ出している。
 ちなみに同法は何度も改定されてきたが、とりわけ懸念される各条項が挿入された大元は、端的にいえば「9・11」なのだ。

 思想信条を罰するフリーハンドを権力にもたせたら何が起きるか。
「共謀罪」を成立させてしまった日本の観客のひとりとしては、本作の公開がもっと早かったらと惜しい気もしたが、もちろん、すべてが終わりというわけではない。

監督・脚本:チャイタニヤ・タームハネー
出演:ヴィーラー・サーティダル、ヴィヴェーク・ゴーンバル、ギーターンジャリ・クルカルニー、プラディープ・ジョーシーほか
2014年/インド/116分

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