【続・在留特別許可】実録:成田空港の「秘密の扉」を知った日(1991-1992)②

 本稿は、〈実録:成田空港の「秘密の扉」を知った日(1991-1992)①〉に続く書きおろし体験記です。数カ月におよぶ外務省とのやりとりがメインになります。
 省庁組織や法制度などは、特記ない限り当時のままです。

 (承前)ダッカ日本大使館の領事受付に常駐しているという、義弟ラシェドが見たところ40代から50代ぐらいの、バングラデシュ人男性ローカルスタッフ(現地雇用職員)。彼が闇ブローカーと結託しているのではないかという疑いの急浮上によって、今後どうすればよいか悩むことになった。
 ラシェドのビザ申請が拒否された、その理由を質して交渉したい、必要と言われれば追加資料を提出するのもやぶさかではない。しかしそれもこれも、領事受付にその現地職員がいる以上は、ラシェドを再度出向かせたところで、前回と同じ轍を踏みかねない。

外務省外国人課に連絡してみる

 1991年8月15日、仕事先の出版社などが盆休みのため、私の仕事のペースも緩やかになっていた時期、外務省の外国人課に電話してみた。同課は、1989年に新設された部署である。在留特別許可時代、一度コンタクトしたことがあったが、ほとんど参考にならなかった。その記憶のせいか、今回もあまり期待はしなかった。

 対象地域によって担当者が分かれているようで、「バングラデシュ人の義弟のビザ申請の件で」と言うと、金井と名乗る男性職員が出た。30代後半から40代ぐらいに思える声である。
 ラシェドの話を説明して言葉を切ると、金井氏は「3つの可能性が考えられますね」と言う。
 「まず、あなたが言うように収賄行為そのものだった場合。それから預金通帳などの残高証明を聞かれたのを誤解したというケース。これは身元保証をするあなた方が預金通帳の写しなどを送って、それを見せればすむことです。3番目は、申請者が多いとき整理券を配って並ばせることがあるんですが、そこへブローカーが大使館職員をよそおって接触することがあるらしいんですね。そういうケースではないかと」

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