ボリウッドの「平和力」④ [完結]

高らかに謳われる多様性の価値

《初出:『世界』2013年10月号(848号)、境分万純名義、
インド映画100周年に寄せて
ボリウッドの「平和力」――高らかに謳われる多様性の価値》

内戦を止めるほどの影響力 

 ここまで見てきたようなボリウッドの平和力は、現実の国際政治の主体が認めざるを得ないレベルにまで至っている。

 2010年から翌年にかけて、内部告発サイト・ウィキリークスが、25万点におよぶ米国外交公電を公開した事件は記憶に新しい。
 そのなかに、ボリウッドに言及したものがあった。国務省の「アフガニスタン復興にインドのソフトパワーを活かす具体策を」という指示に対する、在インド米国大使館の応答である。07年3月28日付で「ボリウッドを利用する機は熟している。アフガニスタンではボリウッド人気が凄まじいので、映画人の有志を募って訪問させれば、復興課題への意識喚起の一助になると思われる」と分析しているのだ。

 ソフトパワーとは、米国民主党政権下で国際安全保障問題担当国防次官補などを歴任した国際政治学者ジョセフ・S・ナイが提唱してきた概念である。
 ナイは、ソフトパワーを「強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力」と定義し、イラク戦争直後にイスラーム圏の対米感情が極端に悪化しているという世論調査にも触れながら、9・11後の新世紀において決定的に重要な国力だとする。その具体例のひとつに挙げているのがボリウッド映画なのだ(注11)

(注11)山岡洋一訳『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』日本経済新聞社 2004年

 思いだされるのは1992年、アフガニスタン北部のマザリシャリフで行なわれたボリウッド映画『Khuda Gawah』〈誓い、1992〉のロケである。当時は、ソ連撤退後を継いだナジブラ政権下でムジャヒディン諸派(のちの北部同盟)は内戦状態にあったが、その内戦がロケのために停止されたのだ。
 世界広しといえども、内戦を停めるほどの影響力をもつ映画界はまずないだろう。

試されるボリウッドの平和力

 こんにちのインド国内において、多様性を脅かす脅威の最たるものは、ヒンドゥ教徒の右派勢力である。
 2014年には総選挙が予定されているが、それに向けて最も注目を浴びているのが北西部グジャラート州だ。その中心にいるのが、ヒンドゥ右派政党・インド人民党(BJP)で頭角を現わしているナレンドラ・モディ州首相である。同州は産業インフラ整備に厚く、欧米や日本の外資誘致に熱心で、平均経済成長率は過去5年で10%。

 モディ州首相は、その手腕により中央政界への台頭も著しいが、インドのムスリムにとってはグジャラート暴動の責任者として断罪すべき存在でしかない。

 こうしたことを反映してか、ボリウッドでは近年、地方政治と地場産業界、マフィアとの相互依存関係をえぐり出すような作品が目立っている(注12と追記)

 一方で、とくに若い世代の観客を意識し、その心情によりそいながら、社会の多様性を破壊したり、他者への不寛容をうながす脅威を警告したり、若さのもつ情熱やエネルギーを望ましいかたちで活かすにはどうしたらいいのかを考えさせる作品が現われている。
 卑近な例を挙げれば、3月(2013年)の大阪アジアン映画祭で上映された感動作『わが人生3つの失敗』(2013、以下の付記も参照)がある。『きっと、うまくいく』と同じく人気作家チェタン・バガトのベストセラー小説を翻案したものだ。

 舞台はほかならぬグジャラート州で、大地震(2001年)や暴動といった現実の事件を織りまぜながら、ヒンドゥ教徒の若者3人の友情に焦点を当てる。うちひとりは、やや内向的で素朴な性格だったのが、ヒンドゥ教徒右派の感化でムスリムに筋違いの敵意をつのらせた結果、かけがえのない親友を自らの手で失ってしまう。どこか、日本のネット右翼ら排外主義者の姿を思わせるところもある。
 
 冒頭に記したように、インド映画の誕生日は日本でいえば憲法記念日にあたるともいえるだろう。いささか強引かもしれないが、憲法3大原理のひとつ、「平和主義」が揺らいでいることに対し、本稿でごく一部を紹介したボリウッドの平和構築の努力――平和力――はどこまで成長していくのか、その「新世紀」に期待をふくらませずにはいられない。
 

*映画タイトルについては、日本で商業公開・映画祭上映・ビデオやDVDソフトのセル・レンタル化のいずれかがなされている作品はそのタイトルを、その他は原題のあとの括弧内に各種資料などから仮訳を付している。

(注12と追記)映画作品として成功しているとは必ずしも言いがたいが、2013年度のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映された『シャンハイ』(2012)や『血の抗争』(同)など。前者は『Z』(1969、アルジェリア=仏)の翻案である。
 なお、同じ2012年のボリウッドシーンといえば、大ヒットした『女神は二度微笑む』を挙げないわけにはいかない。現実のインド情報機関の深い闇を思わせる秀作サスペンスである。監督インタビューは、別ブログのこちらこちら

(付記)『わが人生3つの失敗』〈Kai Po Che!〉視聴方法について。
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 ここで、過去記事でも触れたことがあるが、念のために。
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