イスラーム映画の正しいつくり方②

イントロダクション

 全編を通じ、映画からの引用は論旨と直接関係のない部分を省略しています。

 今回は、バングラデシュ映画というとき、何よりも先に知るべき劇映画の名作を紹介しています。
 いちおう予告編もつけましたが、本作のシネマトグラフィの美しさが、ほとんど反映されていません。ですので、DVD でご覧になることを積極的にお勧めします。英語字幕つきで、メイキングなど資料映像も充実していますので。ただリージョンコードが北米仕様の「1」ですので、再生環境にはご注意ください。

タレク・マスード『泥の鳥』

 バングラデシュは、ムスリム監督による映画メディアを通じた原理主義批判という意味で、イスラーム圏で最も豊かな人材と作品を有する国だ。この背景には、隣接するインド・西ベンガル州を合わせた、ベンガルという地域の多様性を尊ぶ特質と、パキスタンからの独立戦争(第3次印パ戦争、1971年)という、大きく2つの要因がある。

 ここでは2002年のカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞した、タレク・マスード(Tareque Masud)監督『泥の鳥』〈Matir Moina/The Clay Bird、2002、注1〉をとり上げたい。独立戦争に向かう当時、マドラサ(イスラーム神学校)で過ごした監督自身の少年時代をモチーフにしたものである。
 主人公の少年アヌは、河畔の村で、両親と妹と暮らしている。物語の始まりに、少数派のヒンドゥ教徒が盛大にくり広げる躍動感にあふれたボートレースのシーンがある。見物人のなかには、叔父につき添われて楽しむアヌの姿も。しかし、「異教徒のくだらん騒ぎ」に息子が感化されるのを恐れた父親は、アヌを寄宿制のマドラサに送ってしまう。

 カンヌ受賞と前後して、「近年で最良の映画のひとつ」(米紙『ニューヨーク・タイムズ』)「イスラームの教条主義と西欧のイスラーム憎悪、いずれにも異義を唱える非常に優れた作品」(英紙『ガーディアン』)など、欧米の主要メディアは絶賛したが、バングラデシュ政府は上映禁止処分にした。
 処分はその後、監督自身の闘いはもとより、国内ばかりでなく国際的にも抗議や支援が寄せられたこともあって撤回されたが、当時の連立政権を構成していた原理主義政党、イスラーム協会(Bangladesh Jamaat-e-Islami ; JI)の逆鱗に触れたことは確かである。

 たとえば、マドラサ時代の監督が慕ったフジュール(教師)をモデルにしたというイブラヒムが、同僚と会話するシーン。

ハリム 「先ほどの校長の訓話をどう思いますか」
イブラヒム 「結構だが、生徒たちをミスリードする部分もあった。この地にイスラームが広まったのは『剣』を介してではないよ。イスラームの説く平和と平等を、貧しい者や低カーストのヒンドゥ教徒に広めたのは、我欲を棄てたスーフィーだ。ペルシャやアラビアからやって来た支配者らは、領土こそ征服したけれども民衆の心はつかめなかった。つまり、政治や武力ではイスラームは繁栄できない。イルム(イスラームでいう知識)こそが大切なんだ」
ハリム 「それだけですかね、知識のための知識?」
イブラヒム 「むろん実践もだ。たとえばマドラサに入ってくるのは、ほとんどが孤児か、親が育てきれない子どもじゃないか。われわれは彼らを真のムスリムにしようと養育するのであって、政治の道具にするなど公正なことではない」
ハリム 「でも、政治からイスラームを切り離せますか。いままさに国が崩れかけているのに。パキスタンが分裂したらイスラームも弱まってしまうでしょう」
イブラヒム 「なぜそれが脅威なのかね? パキスタンがイスラームをつくったか? 軍事支配を強めただけでは?」

 ここでいうスーフィーとは、中世に発展し、インド亜大陸でもなお影響力の強いスーフィズムの実践者をさす。スーフィズムは、一般にイスラーム神秘主義と訳されるのでわかりにくいが、そもそもは預言者の死後、聖典の解釈をめぐって、いまでいう原理主義的勢力を批判した側の哲学思想である。とくに前者の、歴史的・社会的・地理的文脈を無視して聖典の字句どおりの行動を強制する形式主義や教条主義を問題にし、イスラームの教えの本質を個々の内面で探求することこそが大事だと説く。
 『泥の鳥』には、両者の論争をわかりやすく伝えるかけ合いの歌も入っている。

歌い手1 「聖典を重んじないとは、いったいどういうムスリムか。われわれ学者は、あなたがたスーフィーにいつも腹を立てている。神を畏れよ」
歌い手2 「聖典を理解するには真の叡智が必要だ。ドグマティックで半可通の学者に何がわかる。それでいながら他者に説教する、欺瞞を弄して糊口をしのぐ。神に近づきたいなら、心を愛で満たせ」

 このかけ合いは、両ベンガル社会が誇り、この地域の宗教的・文化的多様性の象徴ともいえるバウルの音楽に乗せられている。

 バウルとは、イスラーム(スーフィズム)・ヒンドゥ教・仏教から影響を受けた特異な宗派をさす。始祖はラロン(Lalon)。ラロンは18世紀、英領インド(現バングラデシュ)に生まれた。

 かれらバウルは独特の神をいただく。その神は「人間の体内に宿る」。つまり神を敬うことは、ひとりひとりの人間を尊重することにほかならないという思想を、スーフィーと同じように清貧に徹して、托鉢しながら伝道する。
 かれらの修行・伝道の手段というのが、ユニークにも歌曲である。ラビーンドラナート・タゴールに大きなインスピレーションを与えたことも、よく知られている。バウル音楽は、ことに2000年代に入って世界的に愛好者が増え、05年には、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)から無形文化遺産に指定された。

くり返し描かれる独立戦争時代

 ところで、マスード監督に限らず、バングラデシュの代表的な映画監督は、独立戦争の時代をくり返しテーマにしている。ひとつにはむろん同時代的な問題の素材を見いだせるからだが、もうひとつは、40年以上を経ても「戦争が終わっていない」からだ。
 虐殺された者300万人、レイプ被害者20万―40万人、インドに逃れた難民1000万人、家屋を失った避難民3000万人、行方不明者の数は知れず。

 バングラデシュ政府は2010年、こうした未曾有の惨禍を招いた責任者を裁こうとする「国際戦犯法廷」(International Crimes Tribunal, Bangladesh; ICT)を設置し、訴追が急ピッチで進行中だ(注2)。
 これまでに逮捕された被告人は、独立に反対して虐殺に積極的に加担したとされる者たちで、筆頭が JI 前党首のゴラム・アザム。先に引用した「パキスタンが分裂するとイスラームが弱まる」とは、アザムら JI が独立派に対して喧伝していた台詞なのだ。

 アザムは戦後パキスタンに亡命したが、1980年代に帰国、91年の民主化以降は、単独で政権を取れない保守的な大政党(バングラデシュ民族主義者党、Bangladesh Nationalist Party; BNP)と連立し、国政に関与してきた。補償らしい補償もなく放置されてきた被害者や遺族をおびただしく包含する国民が、アザムのような存在に見るのは「正義が実現されていない」という不条理である。

パキスタンの映画祭でも受賞

 この意味でも、2003年、パキスタンのカラ国際映画祭(KaraFilm Festival)で、『泥の鳥』が受賞した事実は非常に際立つ。監督によると、事前には上映反対の声が多かったが、蓋を開けてみると大好評を博し、作品賞・音楽賞・撮影賞の3賞を受賞する結果になったのだという。

 この文脈で付言すれば、インド・パキスタンおよびインド・バングラデシュそれぞれの間では、1965年の第2次印パ戦争以来、商業映画の輸入公開が停止されていた。
 そこにまず風穴を開けたのが『泥の鳥』で、2007年にインドで公開されている。この実現には、西ベンガル州の名だたるインド映画人による助力が大きかった。
 他方、印パ障壁は08年に完全撤廃され、43年ぶりにインドで公開されたパキスタン映画が『神に誓って』なのだ(注3)。「パキスタンに対して、いかに偏見を持っていたか反省した」など、こちらも大歓迎された。

 「たとえば、厳格なシャリーア(イスラーム法)では、音楽はハラーム(禁忌)とされます。しかしそれは極端に単純解釈した場合の話で、他のさまざまな解釈の可能性を探ったり、イスラームにおいて最も本質的な、解釈をめぐる討論という原則が、まったく顧みられていない。『泥の鳥』で伝えたかったことのひとつは、こういう問題です」(強調は筆者)

 原理主義の問題点について雄弁に語っていたマスード監督だが、2011年、次回作のロケから帰還する途上で遭った交通事故により、還らぬ人になってしまった。享年54歳。内外から非常に惜しまれたのはいうまでもない。
 しかし、その功績とみずみずしい作品群は半永久的に記憶されるであろうし、1980年代の軍政下から、映画を通じた社会運動を共に闘ってきた監督たちは健在である。志は確実に受けつがれていくはずだ。

注1:初出では『粘土細工の鳥』と仮訳したが、ここではイスラーム映画祭2(2017年)で日本初上映された際のタイトルに合わせた。

注2:初出時ママ。「国際戦犯法廷」は、当初こそ内外の注目と期待が集まったが、その後の推移については留保すべき問題点が非常に多い。こんにちの与党政府のあり方と深刻に連動するため、別の機会に指摘したい。

注3:関連記事でも注記しているように、とくに2016年以降の印パ関係の悪化により、実質上、08年以前の状況へ逆行している。


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