【国際結婚の日常感覚】 バングラデシュの “秘密”

異文化報道をゆがめるものは何か

《初出:『部落解放』2003年10月号(524号)、関口千恵名義》

 15年前(1988年)、バングラデシュ人の配偶者を得ると同時に、相手の国を知るべく情報収集を開始した。

 概説書の1冊もない当時のこと、私が手にした資料の大半は、日本語の新聞・雑誌記事と開発NGOの報告書類である。それがどれもこれも、判で押したように「最貧国の」「女性差別的なイスラーム社会の」といったフレーズで始まる記述。読めば読むほど気が滅入った。
 また、法務省入国管理局(当時)に代表される公的機関から、不動産契約や配偶者の就職活動といった日常生活全般において受ける差別や偏見に、そのような日本語情報源がいかに “寄与” しているかにも気づいた。

 そういうネガティブな情報ばかりを詰めこんだ頭で、1991年、初めてバングラデシュを訪れた。
 折しも総選挙直前。街中に貼りめぐらされた選挙ポスターでだんぜん目立つのは、2人の女性のポートレートである。軍事政権を倒したばかりの2大政党党首、以来こんにちまで交代で首相を務めることになる女性政治家の肖像であった。

 私の受けた衝撃は大きかった。
 同時に、「貧しい国の、よりにもよってムスリムなどと結婚し利用される愚かな日本人女性」と不当な非難の対象とされてきたひとりとして「これまで何を読まされてきたのか」とすさまじい怒りがこみあげた。
 そしてそこから、“秘密” を新たに発見しては自分の視点を矯正するという作業が、こんにちまで続くルーティンになったわけである。

 以下、発見した “秘密” の一部を挙げてみよう([ ]は創設年)。

 女性国会議員比率は、クオータ制度の採用もあるため常時10%程度を占めていること。さらに99年から、20%にまで引き上げる動きが国会議員や女性NGOの間で目立っていること。
 この動きの端緒をさっそく1面トップで報じたのは、アジアで最も質の高い英字紙といわれる『Daily Star』[91年]である。同紙はまた、人権関連法を平易に解説した記事をよく掲載する。おもしろくて参考になる。

 法律家NGOも活発である。たとえば、女性弁護士メンバーだけで200人をかかえるバングラデシュ全国女性法律家協会(Bangladesh National Women Lawyers‘ Association; BNWLA)[79年] は、国内外で人身売買の被害者を救出する、ダイナミックな行動力で注目される。

 首都ダッカの目抜き通りには、フェミニストブックストアがある。リプロダクティブヘルス/ライツの理論家・運動家のフォリダ・アクタが率いる女性NGO、ウビニグ(UBINIG)[84年] の運営だ。同じ通りに、組織形態はNGOだがアジア最古といえるフェミニズム出版社、ウィメン・フォー・ウィメン(Women for Women) [73年] も。

 要するにバングラデシュは、日本を含める東アジアから南アジアまで15カ国を対象にした『アジアの国家とNGO  15カ国の比較研究』(重冨真一編著 明石書店 2001年)にも示されるように、アジア筆頭のNGO大国なのである。5万人以上の職員・年間予算1億5000万ドルという世界最大級のブラック(BRAC)[72年] をはじめとする巨大NGOのほか、中小NGOも非常に多い。開発NGOだけでも千団体をゆうに超える。

 こうした開発NGOの多くは、グラミン銀行 [83年]で知られるマイクロクレジットを採用している。
 貧困層の女性に少額融資を行なうというユニークなグラミンシステムは、貧困撲滅の有効な手段として、米国・英国・ドイツ・フランスなども含む約60カ国で実践されてきた。

 このような “秘密” の多くは、パキスタンからの独立(1971年)以来の長い歴史を誇るだけでなく、国際的にも広く認知されている。
 なのになぜ、日本の読者だけ真空地帯に置かれてきたのか。

 何よりもメディア自身が “第三世界には貧困・天災・疫病・民主主義的後進性のほか報じるに値する素材などあり得ない” と決めつけているからだ。
 かつ、現場に行けば行ったで取材対象の選択も段取りも日本人、ことに日本NGOに全面依存する場合が少なくない。
 その日本NGOは往々にして、みずから対象国の運命を担っているがごとくの針小棒大な自己PRを行ない、相手国がいかに貧しく惨めかと訴える。資金集めにはやむを得ない口上かもしれない。だがそこには  “知性も主体性も自律性も行動力もない国” という誤ったイメージを増幅する危険が常につきまとう。

 とはいえ、こうした問題の改革を期待できるのは、やはりインターネットだ。ネット経由で現地情報を直接得ようとする傾向が、とくに9・11米国同時多発テロ事件(2001年)以降、若い世代を中心にみられている。

 ごくささやかだが、忘れがたい記憶がある。
 4年前(1999年)、マレーシアの空港でダッカへの乗り継ぎ便を待っていたとき、ふと、友人同士らしい日本人の会話が耳に入ってきた。大学生とおぼしき彼らは、たまたま同じ便に乗り合わせたようで、一方が他方に旅行目的をこう語っていた。
「バングラデシュはNGOの先進国だっていうんで、見に行ってみようかと思って」。

 予感したものである。
 報道の質を真摯に自問する作業を怠ってきた既存のマスメディアが、読者から決定的に見放される日もそう遠くはないだろうと。


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