【読む映画】『ファヒム パリが見た奇跡』

難民のムスリム少年が「王者」になるまで

《初出:『週刊金曜日』2020年8月21日号(1292号)、境分万純名義》

 フランスに難民としてやって来た少年が、チェスのフランス王者(ジュニアチャンピオン)になったという、実話を元にした劇映画だ。
 ただし難民認定されてからの話ではない。衣食住すら事欠き、いつ本国に強制送還されるかわからない境遇にあって、なし遂げられた快挙なのだ。

 バングラデシュの首都ダッカ、重武装の警官隊と市民のデモ隊が激突する描写から始まる。
 デモ隊のなかにヌラがいた。主人公の8歳の少年、ファヒムの父親だ。ヌラは、悪化する一方の政情に、難民としてフランスへ逃れようと決意する。ヌラとファヒムが先行して滞在許可が認められたら、残りの家族も呼びよせるつもりだった。
 ヌラは息子に言う。「グランドマスター(チェス選手の最高位の称号)に会いに行こう」。ファヒムは当時すでに、チェスの天才少年として知られ、おとなを負かして小遣い稼ぎをするほどだった。

 まずは陸路インドへ、そして空路でフランスへ。
 赤十字の職員を介して、難民申請者向けの一時庇護施設に入ることになった。

 父子は難民申請手続きを始めながら、スタッフに探してもらった近隣のチェス教室を訪ねる。そこには、ファヒムと同年代の子どもたちと、偏屈だが包容力のあるグランドマスター、シルヴァンがいた。「(チェスは)7つの海より冒険に満ちた世界だ」が持論のシルヴァンは、ファヒムの非凡な才能を、たちどころに見抜く。

 ファヒムが非常に幸運だったと思うのは、最も得意な分野において、良き師だけでなく、競いあえる仲間を得られたことだ。だからこそ、フランス語も半年ぐらいで話せるようになり、全国大会という具体的な目標を提示されて、生きる意欲を失うことがなかった。

 映画では触れられないが、本作の原案、2014年に出版されたファヒムの自伝『Un roi clandestine』(密入国の王様)の英語版を読んでみると、チェスの手ほどきをしたヌラ自身、優秀なプレーヤーだったことがわかる。
 限られた状況でも息子に最良の場を与えたヌラではあったが、難民不認定の通知と国外退去を命じる書面を受けとり、絶望に駆られてしまう。

 2人はどうなるのかとハラハラしながら、日本の難民認定のあり方、さらには不法状態の外国人の処遇全般を考えずにはいられない。そもそも、在留許可がない外国人の参加を全国レベルの競技会で認めることひとつにしてから、日本ではまずあり得ない。
 シルヴァン教室の経営者マチルドが、ここぞという場面で「フランスは人権の国なんですか。それとも人権を宣言しただけの国なんですか」と首相に問う。広く知られる実在の発言を元にしたものだそうで、感動的である。

 ところで、父子が出身国から逃れた理由がピンとこない観客もいるかもしれない。この10年、日本のバングラデシュ報道といえば、同国でいかに市場を確保するかというビジネス媒体のそれが大半だったのだから。

 その間に進行したのが、1991年の民主化以来最悪の独裁政治である。
 ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏やグラミン銀行への不当な攻撃(注)も、人権や民主主義を重んじる市民層を狙い撃ちする政府の策略の端緒だった。

注 『週刊金曜日』2013年2月15日号(931号)、境分万純名義、「世界最大の社会的企業をバングラデシュ政府が「乗っ取り」?! グラミン銀行が危ない」に詳報している。

 そういう市民層に、シャヒドゥル・アラム氏という世界的にも著名なフォトジャーナリストがいる。彼は10年以上前から、でっち上げ逮捕や「強制失踪」、超法規的処刑など、政府に批判的な勢力に対する弾圧を、激しく批判してきた。
 この26年あまり、その仕事を緻密に追ってきた者としては、ヌラの状況認識には現実味がある。

 ちなみにアラム氏は、7月13日(2020年)、「国際報道の自由賞」(米国・ジャーナリスト保護委員会)を受賞した。

 2018年8月5日、Skype を通じて『アルジャジーラ』の取材に応え、いつものように的をうがった政府批判をした直後、不当逮捕されてから3年以上になる。国際的な支援も手伝って保釈されたが、依然として被告人のままだ。

監督・脚本:ピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル
出演:アサド・アーメッド、ジェラール・ドパルデュー、ミザヌル・ラハマン、イザベル・ナンティほか
2019年/フランス/107分

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