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ダイニングテーブルが諸悪の根源? その2

ダイニングテーブルが諸悪の根源? を読んでくれた友人から

そもそも団地とかマンションとかって、躯体の床とお部屋の床の間に、床下収納作るスペースがないのが一般的なのではないかと思うのですが。
床を嵩上げすればできる、というリフォームの例がでてきます。

というコメントをもらった。
普通に考えるとその通りだと思う。異存はありません。

ただね、ちょっとひねくれて考えると、
本当に床下収納の重要性、もしくは、キッチンにおける収納の重要性を
設計する側が認識していたら、
>床を嵩上げすればできる
を最初からしていたんじゃないかと思うのだ。

畳も、日本の形状として重要だという認識だから残ってきたわけで。
いや、残そうとしてきたわけで、だ。
でも、残そうとしたものの多くは、非常に形式的で、
本当に日本人の生活を理解した残し方をしていなかったんじゃないか。
一方で、西洋人の生活そのものも、よく理解せずに、無批判に
西洋の生活様式も取り入れた。

だから、戦後の日本の住宅というのは非常に住みにくいものになっている。
いや、戦前の日本の家がどれも住みやすかったかといわれたら、
そんなことはなかったかもしれない。
特に庶民の家はお粗末だったに違いない。
ある程度豊かな家でなければ、よく考えられた家とは言えないものも多かったに違いない。
とはいえ、何も財閥のおうちじゃなくて、うちのじいさんの家レベルの、
いってみれば商売人の家にも、床下収納くらいはあったわけで。
そして、それをなくしたら、どこに収納を置くか、
収納を床下から床上にあげるならば、
それ相応にキッチンを広げなければならない、
ダイニングテーブルを設置するには、それなりの広さが必要だ
といった発想があるべきではないかと思うけれど、
その辺りが考えられていたかというと、どうだろう。

当時の焦点は西洋っぽさ満点のダイニングテーブルの導入におかれていて、
収納をどうするかとか、キッチンの使い勝手がどうだとか、
日本の食生活を維持するのに必要な設備に対する考察がなされていたのか
っていうことに、個人的にはとても大きな疑問を感じている。

収納の軽視、収納への考え方のお粗末さの典型は、
玄関だと私は思っている。
玄関収納のお粗末さと生活様式の変化への対応能力の欠如は、
あきれるくらい見事だ。

実は、収納を非常に軽視した戦後の日本の家にあって、
例えば玄関に脱ぎ散らかされた靴や、
リビングに持ち込まれた鞄やコートと
いったものの整理整頓が妻の仕事、妻の工夫、
みたいなところに落とし込まれてきた現実もなんだかと思っている。

今日も通販カタログが届いて、そこに、
収納便利グッズがやまと掲載されているけれど、
根本的な解決につながらない収納便利グッズを買い続けて、
工夫しろという感覚がなぁ……とどこかで思っている。

得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)