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さよなら Eちゃん

ちょっと頭の整理のために……

Eちゃんの訃報が入ってきたのは木曜日だった。
1週間位前に、腹水がかなりたまって大変だ、
お店やFBの更新ができない……という連絡が
お友だちを通じて入ってきてはいたのだけれど。

ほぼ一回り下のEちゃんの乳がんを知ったのは、
母の膵臓癌がわかったころだから、2020年だろうか。
もともと、医療制度や医薬品に非常に懐疑的で、
アンチ予防接種の彼女は、異変を感じてはいたのだろうけれど、
お医者さんにはかからなかった。

乳房上部がただれてぱっくり口をあけ、
彼女の信頼するお医者さんに「花咲癌だって言われた」と
いった後も、彼女は民間療法を続けた。
かなりひどい痛みが続いていたようだったけれど、
傷口が塞がったという連絡が来たときは、
このまま治ってくれればと、思った。心からそう願った。

膵臓癌だった母が、その10年前の経験から、一切の医療を拒否した
ことで、彼女は同士を見つけたような気持ちだったのかもしれない。
いや、89才の母と、40代半ばを過ぎたところのあなたとでは、
医療拒否の意味が違うよね、とは思ったけれど、そうも言えなかった。

花咲癌というのは国立がん研究センター中央病院の先生の書かれた原稿によれば、
乳がんの進行・増大により、乳房の皮膚が潰瘍を形成して、皮膚の欠損した範囲が大きくなってしまった状態を比喩したもので、「局所進行乳がん」の状態のひとつ
だという。

がん性皮膚潰瘍が出現した場合、多くはステージⅣという状態で、乳房とは離れた臓器(骨・肺・肝臓・脳など)にもがんが転移しているため、病巣を取り除く手術は行いません。

という記述も別のところにある。
進行性の癌を40代で患い、恐らく当時ステージIVだった
彼女の癌の進行スピードと、89才の母の癌の進行スピードは、
恐ろしく違ったに違いない。
そのことを、わかっていなかったとは思わない。
でも、Eちゃんは、医者にかからなかった。
当初は砂風呂によくいっていたようだし、その後は自宅での湯治、温湿布などを中心に快癒を目指していた。
いかに現代医療が集金マシーンで、私達がその犠牲になっているか、
本当は今の医療がなくても病気は治る
私はそれを証明するために癌になったんだ
エリちゃんは何度かそういった。

不安はあったのだろうと思う。
でも、それを見せなかった。
そして、自分の使命を果たすべく、誰でも読める状態で
病状をFBにアップしていった。
薬を飲まなければ、医療にかからなければ、
病気は治るといったポストと共に。

病状回復のレポートがあがると、安心した。
Zoomで喋っても元気そうな日々が続き、
来年になったら暮らしの学校を始めよう、
のりこさんも講師で来てね
とりあえず、一度会にいくね
年明けには、そんなやりとりを何度か。

このまま、体調がよくなったら、
その手当の方法がシェアできると、他の人の役に立つね
そんな話も2人の間で出た。

でも、一方で、私自身は常に、裏から何か出てくるのではないか
という不安につきまとわれていた。
だいじょうぶだよ
よくなってきたよ
お手当が効いているの!
という彼女の笑顔の下に押し込まれた
痛みや不安がいつか彼女の笑顔を押しのけて、
ぱっくり傷口が開いた時みたいに、彼女を飲み込んじゃうような
そんな不安につきまとわれていた。

癌に関しては、なんというのか、
エビデンスはありますか?
と確認したくなるような民間療法も多い。
アドバイスしてあげようという気持ちがわからいではないけれど、
生死がかかっている人に「○○がいいらしいですよ」は
無責任だ、と、個人的には思う。
自分が実際に快癒したとか、家族が治ったとかならばまだしも。

だからこそ、Eちゃんは、自分で試して、胸をはっていいたかったんだ、
とは思う。

>本当は今の医療がなくても病気は治る
>私はそれを証明するために癌になったんだ

でも……
そんな使命感より、自分をいたわってよ
大事にしてよ
あなた自身と、子ども達のことを。
どこかでずっとそう思っていた。
と同時に、彼女にとってその使命感が生きる原動力なのも
感じていたから、本人には、ついに言えなかった。

そして訃報。

癌告知の際、母が医師に余命を聞いた。
1年くらいではないか、と言われた時、私は母は90の誕生日は迎えられないと思った。
けれど実際には、母は医者の予想の1.5倍の時間のほとんどを、自立した生活で過ごし、誕生日を祝ってから旅立った。

Eちゃんはといえば、その母より2年長く、
恐らく医師に余命を確認していたら、それを大幅に上回る時間、
ご家族のサポートを得ながら、
自立した生活を続けてきた。
入退院を繰り返すのとは無縁の生活。
もちろん、医師という伴走者がいない、ある意味では孤独な、
状況の見えない生活ではあったかもしれないけれど。

走りきった濃縮した人生だったと思う。
彼女に鼓舞されて動き出した人、人生が変わった人も沢山いるだろう。
そのパワーは、最後の最後まで本当に途切れなかった。

と思う一方で、20代そこそこで喪主になり、
高校、中学で親を失う子ども達を思うと、
やりきれない思いも残る。

ヲイ、それはやり過ぎじゃない?
と思ったり
よく頑張ったね、と思ったり。
様々な思いがないまぜになって、頭の整理がつかない。

とはいえ、来週は告別式。
Eちゃん、お疲れ。
さよなら。
また、会いたい。






得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)