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ばあばと二人三脚 WM人生

12月14日に母が亡くなり、忌引きをとっておりました。

友人からそんな連絡が入った。
数週間前に友人にあったときは、ショートステイにいっておられたお母様。
10日すぎから急に体調を崩された、と。
亡くなる前日には、大好きな寅さんの映画を見て、
友人のお連れ合いに煎れてもらった大好きなコーヒーを楽しみ、
お孫さんとおしゃべりをして。

でも、朝、出がけの様子がおかしかったのよ。
それでも、
「大丈夫だから仕事に行けっていうから、訪問看護師さんに
お願いして仕事に出たの」
という友人。
12月が忙しさのピークだという友人の職場のことを
お母様はよくご存じだった。

血圧が下がってきているという連絡があって、
あわてて帰る準備をし、上司に断って職場を出たところで
亡くなられたという連絡が入ったのだそうだ。

ここまで、支えてきてくれた通り、
仕事ちゃんと終わるように取り計らって
一人で逝っちゃったの。
と友人。

雇均法成立前後の世代なので、仕事を続けるために
義母実母の力を借りてきた人は私も含め、多い。
友人のお母様も、土日も駆り出される忙しいわが娘を支えるべく、
孫娘ちゃんの子育てを手伝ってきたのだろう。

私の母は、「平日子ども達は放りっぱなしなんだから、土日は絶対に
一緒に過ごしなさい」と、「仕事以外では預かりません」と宣言。
シッターさんやファミサポさんに頼る私の子育てにとても批判的だった。
が、ここ1年、自分が弱くなってからは、
何かあると娘よりこまめに連絡をくれる孫達に、
「あなたが仕事してたから、私、孫達とこんなに仲良しなのね」
と笑っていた。

友人達と、母達に手伝ってもらっている話になるといつも思い出すのが、
大学時代のアメリカ人の友人の言葉だ。
私の母は、自分が苦労して仕事を続けてきたから、
「あなたが仕事を続けるためのサポートは喜んでする」
って母が言うの。
日本はアメリカより30年遅れているから、
紀子達は、私の母の世代と一緒だね。

その後2000年代に入って、別のアメリカの友人に、
日本の女性の就労状況はアメリカより50年遅れているから……
と言われて、30年の間に20年の遅れをとったのか……と
頭を殴られたような感じがしたのを覚えている。

もちろん、彼らの発言は感覚的なものだけれど。
でも、残業ができるかどうかが、就職や評価の対象になったり、
未だに子どもがいて残業はどうするんだといった質問が女性にだけ
発せられたり……日本の社会の進化は遅々として進まない。

雇均法をはさんで、
自分が一人前だと認められるためにのたうちまわったのが
私達の世代だった、と思う。
私達が、もっと未来を予見して、
残業をしないで育児をするのが権利だと声をあげれば
日本はもっと別の形になっていたのかなと思わないこともない。
新人が酌をするものだといわれ、「お触りおじさん」の異名をとる
役員の対応をおしつけられたとき、おかしい!と声をあげていれば
女性の環境はもっと変わっていただろうかとも思わなくもない。
私達の世代の女性には、同世代以上の女を一段下にみる風潮を長引かせる
のに自分達も加担したんではないかという意識がどこかにある人は
多いだろう。

次世代に申し訳ないと思う一方で、
育休もなく、産後6週間で復帰、0才児は5時お迎え、
シッターさんも限られるなか、唯一頼れるのが、
実母義母だった人達も多い。
夫より、母と二人三脚でWM人生を乗り切って来た人は
多いのではなかろうか。

私達WM人生の影の立役者達が、静かにこの世を去って行く。
多くは数年の就労経験しかない人達で
娘達のバタバタした生活にあきれながら、驚きながら
でも、職場での娘の姿を見ることもなく、
ただただ、娘達が奮戦している姿を想像しながら
折れないように、倒れないようにと支えてきてくれた人たち。

ありがとうね、おばあちゃんたち。


得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)