見出し画像

ヘルパーさん立ち入り禁止の心理

家事のサポートの必要を感じ始めた母。
そのために受けた介護認定の結果が先日でた。
思ったより悪かった、と母はショックだったよう。
いや、ヘルパーさんをお願いするための認定だから、
サポートが受けやすいように配慮してくださったのでは、
と考えるのは私が本人じゃないからだろう。
数値化された現実をつきつけられた母は、ケアマネさんに相談の電話をかけることも躊躇している。

でもさ、週に1回でもヘルパーさんに来てもった方がいいわよ。楽だと思うよ
そういう私に、「でも、家に人を入れるのは……」とためらう母。
この、散らかった我が家に人様を入れたくない
人に頼むと思うようにやってもらえなくて返って面倒
という、心のバリケードは、恐らく日本中の主婦が築いている。
そして、このバリケードは、年齢が上がれば上がるほど高く、頑強になる
傾向がある……ように思う。

母は実家が商売をやっていて、職人さんの出入りがかなりあり、
祖母はお手伝いさんも入れて家のなかをまわしていたらしい。
恐らくはそのお陰で、母に「家事はきちんとしないといけないと思う?」
と聞くと、「当然でしょ?」とはいうももの、
それを全部ママがやらなくちゃならないと思う?と聞くと
「そうじゃなくてもいいんじゃない」というメンタルにはある。

その母でさえ、人を入れたくないバリケードはかなり厚い。
掃除の講座をやったり、手抜き家事の講座などでも、
お掃除の外注という話は出る。
けれど、「でも、お掃除の人に来てもらう前に片づけなきゃならないから」
という話は、実に多い。
いや、本末転倒でしょう、片づけて掃除してもらうために呼ぶのに
と思うけれど、「でも、あんまり散らかっていては(世間体がねぇ)」という人はものすごく多いのだ。

こうなると、いきなり散らかった茶の間の掃除をお願いしましょう、
なんていうのは、益々バリケードを厚くすることになってしまう。
まずは、掃除以外のところを手伝ってもらって、
母になれてもらうことから始めようと、説得を試みる。
一番頼みやすいのは、恐らく買い物だろうけれど、
週2回生協のくる実家では買い物は発生しない。
そこで、
まずは、生協できたものを全部、しまってもらうことから始めるのはどうかしら? 結構重いものもあるし、持ち上げたり、運んだり、しまったり、
大変でしょう? 箱も片づけてもらえたら楽じゃない?
と言ってみた。

これなら、ヘルパーさんが家にいる時間もさほど長くはならない。
移動するのも、せいぜい冷蔵庫と玄関くらい。
茶の間にも母の寝室にも入らない。
掃除は今まで通り、私が来てやる。
我ながらいい提案だ! と思った。
力仕事が難しくなってきている母としても、
箱から出すために腰をかがめたりしなくてすむし、
ものを持ち上げなくてよくなる
と、メリットを感じやすかったらしく
「そうねぇ。そういうことからお願いすればいいのね。」
と前向きな返事。

ね。そうしよう。
まずは、ケアマネさんに電話して、相談しようね。

とここまで来たところで、母がぼそっと一言。
あぁ、でもねぇ。冷蔵庫の中が散らかっているのよ。
使い切れなかったお野菜が傷んじゃったりしていて。
ヘルパーさんが来る前に、それを片づけなくちゃならないわよね。

いや……それを片づけて頂くのもお願いすればいいんじゃないの?
という一言が喉元まででかかったけれど、
きっとそれを言うと、バリケードがまたどどーんと大きくなっちゃうと
思い直し、
わかった。じゃぁ、私が片づけるよ! ヘルパーさんの前に冷蔵庫ね。

う〜ん。毎週片づけるんだろうか、冷蔵庫。


得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)