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汝、ジョージ・バランシンの唯一無二の傑作『セレナーデ』を見ずして生きることなかれ ----- 『セレナーデ』全力エッセイ

 ドイツの詩人ゲーテいわく、「ナポリを見て死ね」。僭越ながら、一言、申し添えると「バランシンの『セレナーデ』も見ませんか」。もう一言、申し添えると、「本作を見ずして人生を終えることは大いなる損失なり」。
 なぜなら『セレナーデ』はこの上なく美しく、尽きることのない魅惑をたたえた、バランシンの唯一無二の最高傑作だから。彼がアメリカで育もうとしていた〈アメリカン・バレエ〉の醍醐味を味わい尽くせるだけでなく、今日のバレエの原点であるロマンチック・バレエとバランシンの母国ロシアの華麗なるバレエの魅力を再認識し、初演当時の社会情勢を垣間見ることすらできてしまう。虚心坦懐に申して、『セレナーデ』を見ずして生きることは、あまりにも、もったいない。
 汝、『セレナーデ』を見ずして生きることなかれ。

女性達はバランシンに命を吹き込まれたかのように踊り始める

 オーケストラの序奏が響き、幕が上がると、ほの暗いステージで17名の女性達が右手をふわりと頭上に掲げてたたずんでいる。左手は所在なさげに体の横に垂らし、足元はつま先を揃えた〈6番ポジション〉。眩しい日差しを遮っているようにも見える、少なくとも世紀の名作のオープニングらしからぬ立ち姿だ。いま一度、序奏が奏でられると、彼女達はバレエのプレパレーションよろしく両腕をゆっくりと動かし、体の前でふわりと弧を描く〈アン・ナバン〉のポジションに下ろし、つま先は左右に開いて〈2番ポジション〉にする。その瞬間、トゥシューズがフロアをかすめる気配がするだろう。ひと呼吸おいて両腕を左右に広げ、虚空を見上げたかと思うと、バランシンに命を吹き込まれたかのように、彼女達は颯爽と踊り始める。

 さあ、めくるめく幸せな時間の始まりだ。

『セレナーデ』
初演:1934年6月10日
音楽:チャイコフスキー「弦楽セレナード ハ長調」
構成:「ソナチネ」「ワルツ」「エレジー」*
 * 1940年にバレエ・リュス・ド・モンテカルロで再演した際、
    2楽章と3楽章の間に「ロシアの主題による」が追加された。
現行版:「ソナチネ」「ワルツ」「ロシアの主題による」「エレジー」
原曲:「ソナチネ」「ワルツ」「エレジー」「ロシアの主題による」
会場:フェリックス・ウォーバーグ邸、特設野外ステージ
  (ニューヨーク州ホワイト・プレインズ)
出演:スクール・オブ・アメリカン・バレエ在校生

プロのバレエ団による初の公開公演:1935年3月1日
会場:アデルフィ劇場(ニューヨーク市)
出演:アメリカン・バレエ
  (スクール・オブ・アメリカン・バレエから派生したバレエ団)

Table of Contents

女性達はバランシンに命を吹き込まれたかのように踊り始める
不揃いな生徒達のエネルギーを『セレナーデ』に昇華させた
SAB育ちのダンサーの真骨頂 ---- 眩いスピードとアタック

第1楽章「ソナチネ」:
神出鬼没のソリストと変幻自在のコール・ドゥ・バレエ/
音楽と振付の絶妙な関係 / ロシア革命と他作の痕跡 /
“民主的”な振付に目を凝らす / 1934年初演リハーサル事件

第2楽章「ワルツ」:
ソリスト遅刻事件 / ウェスト・ホールド問題対処法

第3楽章「ロシア」:
親愛なる母国ロシア / ロシアン・ガール“推し”

第4楽章「エレジー」:
アブストラクト・バレエと物語の微妙な関係 /
やはり『セレナーデ』は「エレジー」で締めくくらなくてはならない /
バランシン御用達のデザイナー、カリンスカ衣装

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