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ちょこっと勉強「有間皇子」②

続きです。

 参考として、後に詠まれた歌も教えていただきました。
 現代語訳はなかったのですが、何となくニュアンスでわかるかな?と、この歌を詠んで心で感じてみます。

1.
 磐代の岸の松が枝結びけむ人はかへりてまた見むけむかも(巻2 143)

 岩代の岸にある松の枝を結んだあの人は、振り返ってはこれを何度も見たのだろう。見たのだという強い想いがあったのだろうなと感じました。

2.
 磐代の野中に立てる結び松心も解けずいにしえ思ほゆ(巻2 144)
(題詞 長忌寸意吉麻呂見結松哀咽歌二首)

 岩代の野にある枝が結ばれた松は、今もほどけることなくそこにあって、これを結んだ故人を思っているのだろうなと感じました。

3.
 鳥翔成あまがけりあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ(巻2 145)
(題詞 山上臣憶良追和歌一首)

 空を飛ぶ鳥たちはこの道を通った彼を見ていたのだろう。でも彼が有間皇子だとは知らなかっただろう。知るのは松のみ。でもここで思うのです。もしかしたら有間皇子は鳥になって空に翔けていったのでは?

4.
 後見むと君が結べる磐代の小松がうれをまたも見むかも(巻2 146)
(題詞 大宝元年辛丑幸手紀伊国時時見結松歌一首 柿本朝臣人麻呂歌集中出也)

 後ろを振り返るとあなたが結んだ岩代の松の枝。とてもとても離れてしまったところで、再び振り向いてそれを見たのです。目に焼き付けておきたかったのだろうな。

 後世に「有間皇子」の身に起きた不幸を嘆き、憂いてくれた人たちがいることに救われます。もし、そういった方がおられなければ、それこそ無駄死にでしょう。その時こそ、強い強い怨念で天皇家を呪わなければならなくなります。


ここで俗世間。

 Gマップ 「磐代」と検索し 「岩代の結松 (いわしろのむすびまつ)」。
和歌山県日高郡みなべ町西岩代国道42号に石碑があります。(行ったことはありません。)

 藤白の坂をググったら、「熊野古道 藤白坂」とありました。お墓はあるのですが、そこに遺体はありませんよって。何しろ木の枝に絞殺刑のまま野ざらしにされていたらしいですから…。皇子ですよ?孝徳天皇の皇子ですよ?このようなことを許しは行けないと思うのです。それを何とも思わないところ、欲まみれの女帝ほど醜いものはない。(ここどうしても感情的になってしまいます。)


 死後の「有間皇子」になったつもりで、ない頭をひねってみました。

「死して後 晒し身となり 朽ち果てし 天に昇りて 心緩々」

 「有間皇子」に限らず、政争で亡くなった方達は相当な恨みを持っていたはず。でも「有間皇子」は生前のいい人から抜け出せず、最後には天に昇って穏やかに過ごし、輪廻を終えていつかの時代に生まれ変わっているものと思います。



 先週まで「〇〇の日」「今日の花」を最後に入れていましたが、勉強には入れないこととしました。勉強ではない、いつもの日常日記のみに入れていくことにしました。
 延々と勉強は続くので、もしかしたら呟くかも知れません。

 今日の写真はお昼に撮った湖岸の様子(ほぼ木)です。





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