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過ぎたことを反省し、次を楽しむ。

 昨日22日の予定ではもともとは菅山寺だったのを余呉湖に変え、その後野鳥センター、お城博物館でした。

 本来ならサクサク歩けて10時半過ぎにあじさい園とその先のあじさいロード、そのまま余呉湖1周で観光館に戻って12時にはセンター、13時にはお城と決めていたのに、センターが13時になってしまったのでお城は諦めました。

 1日たっても「なんで食料なしで行ったんだろう」って思います。

 あと、膝痛めてるのに、なんで歩きにしたのだろうって…。トレッキングポールの先端をウォーキング用にしたからって、膝の負担がなくなるわけでもないのに。

 魔が差したのか、単に浮かれてただけなのか…。(間違いなく後者)

 今回は無計画過ぎたところもあるので、次からはしっかり計画を立ててアウトドアを楽しみますとも。

 自然の中で、野筆を楽しみたいところ。野点もしてみたいです。

 独りだけど。。。それが楽しい。


6月22日
 野鳥センターに着いた時にはすでに風あり曇天で、薄暗い様相でした。

何咥えてるん…
この子も…

 冬と違って静かな水鳥公園ですが、訳あって北帰できなかった子や、留鳥たちはここにいてくれて、水鳥達の楽園だなぁと思わず口元目元が緩んでしまいます。

 写真を拡大して隅々まで見ていると、たまに面白い子見つけてしまって楽しいです。


6月19日

6月21日


野山に出て、野筆や野点といった風流事に挑戦するにあたり。


「和歌、短歌」・・・五、七、五、七、七

 ●和歌:近世まで、主に貴族、情景や恋、技法あり、間接的
  漢詩に対して使う言葉、実際に声に出してうたうためのもの
  枕詞、掛詞
 ●短歌:明治以降、庶民も、日常の暮らし、技法なし、直接的

 どちらも伝統的な大和歌なら、今詠むものに枕詞や掛詞があってもなくても別に気にしなくてよいと自己判断。
 その歌が美しい響きを持つか、持たないかで良し悪しを決めればよいのだろうと、これもまた自己判断。

 あんまり小難しく考えなくても良さそうだけど、感情言葉や古典言葉ぐらいは知っておきたいところです。
(創作物語にも自作の大和歌入れたいし…)


「俳句、川柳」・・・五、七、五

 ●俳句:「季語」あり
  連歌や俳諧から生まれたもので複数人で結構つらつらと続けることがで 
 きるらしい。
 ●川柳:縛り無し。

 俳句なんてこの時点でもうアウト。季節違いの季語を間違って使ってしまったら、その時点で「こいつ馬鹿じゃ?」ってなる。嫌いじゃないけど自分には無理です。
 最近仕事で川柳を一筆書いたんです。製造業従事。品質川柳。季語なしで気楽でしたが、めちゃくちゃ考えました。短すぎもしんどいから、俳句ほどではないけどちょっと嫌。


 自分の性格もあるけれど、古代から平安時代あたりの装束が好きなのもあり、意味は分からずも和歌を声に出して詠んでいたりもするため、野山で筆を執るならやっぱり和歌(短歌)だろうな。なんてね…。

 ちょっと恥ずかしいかも。

 古典の授業でことごとく文法にやられて挫折し、以来なるべくかかわらなかった古典文学。どんなきっかけで再び火が付くかなんて、本人にすらわからないものです。






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