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秀吉ゆかりの地に行ってきました。②
私の初京都は確か、(多分)高校の頃。なぜ訪れたのかは忘れました。卒業記念?クラス全員での参加だったような…。とても大きな神社だったような…。はっきり覚えていないですが、行った記憶だけあります。
ひとまず今日は以下3か所の感想をつづります。
豊国廟
新日吉神宮
智積院
豊国廟
先日の記事では563段と書いていますが、そう教えられたからです。実際には数えていません。足を動かすだけで精一杯で、数える余裕などありませんでした。
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国松に関しては、幼子ということもあり徳川には呆れるばかり。
斬首せず生かせていたら、国松が生きていたら…って思うことありです。もしそうなら、家康を見る目も変わっていたと思います。
竜子…。彼女の生き様も大変だったと思いますが…。
(「女の人生とは、男に振り回される人生である。」と思っている。)
それでも彼女は女としての武器を最大限利用して、京極竜子として生まれた誇りを守ったのかもしれないなと思います。京極家の衰退は彼女のせいではないですから。
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正面から撮るのが畏れ多くて…。
発掘調査でミイラが発掘されたらしく、丁寧に修復後、この五輪塔の下に埋葬されたとか。
こちらは訪れる人もほとんどいないようで(あんな長い石段じゃ…)、寂しい感じがしましたが、ここから清水寺が見れることには感動しました。
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帰るにはまた石段を下りていかなければなりません。
細心の注意を払って下りました。その際、年配の男性の方とお話をしながら降りたので、緊張も和らぎ、気付けば下まで無事にたどり着けました。
新日吉神宮
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秀吉は信長から「猿」と呼ばれていたようですが、こちらには狛猿の
像が安置されています。猿は日吉社では山王神(日吉社の神々)の使いとされているということです。
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本当に秀吉が「猿」と呼ばれていたのだとしたら、神様の使いから、自らを神様となって「仏様」を守護したかったのかな…と思います。
死後に「豊国大明神」の神号が与えられていますが、秀吉が望んだ神号は「新八幡」だったらしいです。いろいろと思惑があったようですね。
智積院
正確には『智積院会館』の大広間でお昼(精進料理)を頂きました。大日如来様、両隣はおそらく弘法大師様、不動明王様(だと思っています)が座していました。
このような体験はおそらく、今後二度とないだろうと思っています。
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撮り忘れ。
京都らしく上品すぎて勿体ないぐらいの贅沢でした。天ぷらはサクサクしていて、お塩をかけなくてもおいしかったです。
昼食後に『智積院宝物館』を見学しました。
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●智積院・・・真言宗智山派総本山 山号「五百仏山」
本尊は「大日如来」。
秀吉の根來攻めで衰退したが、秀吉の死後に家康の庇護を受けて再興を果しました。
●祥雲寺・・・秀吉と淀殿のお子で幼い時に亡くなった鶴松の菩提を弔うために、秀吉によって建立された寺院だということです。
豊臣家滅亡後にいろいろとあって祥雲寺が智積院に与えられたようです。
【智積院大書院障壁画】
●祥雲寺客殿を飾っていた障壁画。
●祥雲寺が智積院に与えられた後に、智積院の大書院を飾ったようです。
●昭和22年の火災で大書院が半焼したが、障壁画の大半が救出されています。焼失したものもあります。
●安土桃山時代の代表絵師・長谷川等伯一門が文禄元年に手掛けた作品で、国宝に指定されています。
展示品は密教法具、曼荼羅図、朱印状、巻物、弘法大師像、孔雀明王像、そして金碧障壁画(国宝)
※中での撮影禁止(当たり前)
感想・・・
①密教法具 実際に持てたとしたらどれほどの重さだろう…。レプリカを造
ってもらって、誰でも持って確かめられるようにしてほしいな。
②両界種子曼荼羅 梵字ばかりで何て読むのかわからないけれど、なんとい
うか、不思議なパワーを貰った気がした。
③朱印状 説明書きをしっかり読むべきだった。
④大方広仏華厳経巻第四十一 黒い紙に金の文字。漢字ばかりで何て書いて
あるのか読めないけれど、仏教の巻物だということがわかるな…。金の文
字って本当に金が含んであるのかな?本物?
⑤弘法大師像 この人が「こうほうたいし」様なのか…。帰宅後に「こうぼ
うだいし」と知る。
⑥孔雀明王像 美しい人だな。…?蛇?孔雀?…「あっ!だから孔雀明王な
のね!」
⑦国宝障壁画 ファー……、言葉ないわ…。
⑧書院再現コーナー ……。
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次、もし来れるなら、個人で来て、じっくり見学して回りたいと思った施設です。何より障壁画が圧倒された…。
明日は下記の感想を投稿します。
方広寺
豊国神社
高台寺
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