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秀吉ゆかりの地に行ってきました。③

 最後、残り3か所(4か所)の感想です。

 訪れた順に書いていきます。

豊国神社
方広寺
(耳塚)
高台寺


豊国神社

 ごめんなさい。編集大変なので、皆さま唐門を向いておられるので、この写真だけそのまま載せています。

秀吉さん

 平日だからかそれほど人は多くなかったように感じます。

 こちらはぐるっと回ってお参りしただけです。


方広寺

 豊国神社からお隣に歩いたところにあるこちらのお寺。

いちゃもんを付けられた梵鐘
「国家安康 君臣豊楽」
ここに刻まれていましたよ。
わかるように白く書いてくださっているとか。

 秀吉は大仏を造りたかったのですね。でも災難に遭ってしまいそれはかなわず。死後に秀頼によって再度造仏が始まったけれど、焼けてしまったり、梵鐘の問題で結局豊臣家は滅びて…。
 その後も何度か再造仏されているけれど、ことごとく焼失。

 多分、超自然的現象により、ここに大仏を造る事が許されなかったのではないでしょうか?
 梵鐘が残っているだけでも貴重なことだと思います。

 それにしても「国家安康 君臣豊楽」。私にはこれが徳川の機嫌を害したとは思えませんでした。


(耳塚)

 おまけとして向かったところです。

 ここは訪問ルートには含まれていませんでしたが、年配会員の方が「耳塚」の話をされて、学芸員の先生が歩いて行ける距離だからということで、急遽訪問することになりました。

 私は「耳塚(鼻塚)」のことを知りませんでした。
 先生の話を聞いて、武功のためとはいえ惨いことをするものだなと、妙に感心しました。

 秀吉の朝鮮攻めで武功を示すため本来なら生首なのだけど、それを持ち帰るわけにはいかないから敵兵の鼻を削ぎ落とさせた。多くの鼻を埋葬したところ。

 なんで秀吉は朝鮮出兵なんかをしたのか…。

 日本に大陸(ヨーロッパ)からの訪問が増えるとともに、日本人が奴隷として大陸などに送られるようになってしまった。日本人を守るために朝鮮攻めが行われた。

 という内容の話を聞いたことがあります。真実はわかりませんが、ただ、秀吉は信長と違い、海外使節団を歓迎していなかったと思います。中国も嫌っていたと思います。大国が攻めてきたら日本がどうなってしまうか。秀吉はそれを案じていたのではないだろうか?日本を守るため、朝鮮を攻めて日本の統治下に置きたかったのかと思います。でも海を渡るわけなのでそんな簡単なものではなく、結局失敗。これが豊臣家の衰退につながったのだろうな…。

 どういう結果になろうと、秀吉自身が日本を守りたかったのだという思いは、死後の神格化を望むぐらいに強かったのだとわかります。
(信長でも、家康でもなく、自分が一番、日本を守っているんだぞ なんてね)

 信長、秀吉、家康の三人の中で、一番に日本を大事にしていたのは秀吉なのかも知れないなと思います。


高台寺

 臨済宗建仁寺派の寺院 山号「鷲峰山じゅぶさん
 本尊は「釈迦如来」

 秀吉の正室、北政所が秀吉の菩提を弔うために創建した秀吉ゆかりの寺院。
 元々は北政所が生母を弔うため建立した康徳寺が前身と伝わる、とあります。北政所は晩年をこの寺で過ごしたということです。

 こちらのお寺では特別に御抹茶と御茶菓子のおもてなしを受けました。
(特別な交流があったということで、見学の際も直接にご案内いただきました。ただし、これが無かったとしても、お寺のお方たちは皆さま、大変に親切丁寧に、多くの観光客の方達に接しておられて、その様子から、北政所の影を見た感じがしました。)

何て名前の建物か忘れました。
てっぺんは鶴。
鳳凰だと思っていました。
開山堂と観月台(左)
蓬莱式庭園は小堀遠州作庭と伝えられるとか。
百日紅が良い感じでした。

 霊屋おたまや、傘亭・時雨亭なども見てきました。

 竹林が手入れされていて素晴らしく、時代劇の中に迷い込んだ感じになりました。

 個人的には再訪したいお寺になりました。


全体の感想
 京都に着いてからのバス移動、徒歩移動共に、結構ハードと感じましたが、独りで回った場合、この日ほどの経験はできなかっただろうと思います。また参加されている方々は私より結構年上で、いろいろと教えてもらうことが多く、これが教養なのだなと気付きました。

 教養とは自ら学んで身につけ、知識として蓄えていくもの。

 皆さんは自分の持つ知識をひけらかすことなく、さらっと、自然に教えてくれます。学校では教わらないことばかりです。だから、教わる私自身も知識がないことを恥ずかしいと思うことはありませんでした。勿論知らないこともあるため、先生に質問する方もおられました。

 探究心を持つことが重要なのだと気付いた一日でした。


 今日9月10日は私が住む学区の歴史を学ぶ講座がありました。
「井関家と足柄神社」
 井関家は面打師の家系。

 秀吉が能を大変に好んでいたことを、この講座で初めて知りました。あの家康とともに能を催したことが何度もあるようです。
「どうする家康」を見ていないので、そういうシーンがあるのかはわかりませんが、へぇ~と思いました。


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