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ちょこっと勉強「有間皇子」④

 今日は朝から激しい雨で、写真を撮れませんでした。カメラを持ち出すのも躊躇するほどの雨でした。

 昨日の残業で憂鬱になりながら会社に行きました。

 課長に怒られるか?と思っていたのですが、気持ち悪いぐらいに何も言ってきませんでした。

 今日は昨日のような残業にはならずに済みました。

※今日は昨年7月31日の「伊吹山初登頂」の写真を載せています。


 「有間皇子」を勉強するにあたり、「神武天皇」についてほんの少し、1ミリ程度調べました。

 参考にした書物は「読めば読むほど面白い『古事記』75の神社と神様の物語」(著者:由良弥生)です。
 まだまだその内容の面白さを感じるほどの知識は得ていませんが、神様世界に入り込みやすい書籍と感じています。

 日本書紀に関する書籍は持っていないので、そちら方面から攻めることはできません。いずれ購入する予定ですが、難しいのは頭に入りきらないので、「読むほど面白い~」系統の書籍を探します。


 「かむやまといわれびこのみこと」が、「神武天皇」。
 天孫降臨ということは、この神様は天照大御神の孫ということになるのでしょうか。


 「孝徳天皇」は遡ると「継体天皇」。更に遡ると、やっぱり「神武天皇」まで行きつく感じですが、正直な感想として、無理がありすぎる系図を遡るのは容易ではありません。何しろ参考にする系図が真実とは限らないですから。

 そしてあまりにも人間臭みが強すぎる。

 それでも遡る程に名前がやたらと長く、読みにくくなるところから、やっぱり神様なのかも知れないな…と思いました。

 系図を調べる理由は、どこから蘇我氏が台頭し始めたのかを知りたいからです。「有間皇子」が若くして死ぬことになった経緯に、蘇我一族である蘇我赤兄が絡んでいます。

 ただの取り巻きなら権勢を誇る程の大豪族にはならないだろうから、おそらく天皇家を乗っ取ろうとしたのではなかろうかと思っています。(何となく蘇我一族は朝鮮(大陸)民族なのでは?と勘繰っています。自分が古代日本の歴史について疎いからこそ、そういう風に感じてしまいます。)


 足がつりそうで苦しいので( ̄﹏ ̄;)今日はこの辺で一旦終わります。
 もうしばらく蘇我一族の絡みを調べつつ、有間皇子のたどった道をグーグルマップで辿ってみようと思います。

 素人なので学者さんの様にはできませんが、素人なりに出来ることをやってみます。



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