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回顧録① 記憶にない幼少期

まずは自分について、時系列で書いていこうと思います。

0歳 誕生

頭がデカすぎて産道を通れず、吸引分娩で生まれました。
母子手帳には「胎児仮死」と書いてあったので、産道通れなくて窒息していたのかもしれません。引っ張ってもらえて良かった…

あと母の日記によると、胎盤が3000g超えだったらしいです。
3000gって…赤子1人分⁉︎
調べたら平均は400〜500gらしいです。どうしてそんなに大きくなった?
どなたかご存知の方、いたら教えてください。

3歳 弟誕生、初めての習い事

弟を出産する為母が入院し、初めての母子分離。
母方の祖父母の家に預けられたのですが、泣きまくって大変だったそうです。
でも食欲は健在で泣きながらも3食完食し、しまいにはお見舞いに行った際、母の為に用意された産院の食事をぺろっと食べる始末。何してんだ私。

この歳に初めての習い事で水泳と新体操を始めるのですが、水泳は男の先生が怖くて泣きまくってドロップアウト。
でも先生が怖い人だったのではなく、多分「男性」という存在が怖かったんだと思います。
厳しさで言ったら、新体操の先生の方が厳しかったです。何度怒鳴られたことか…(流石に3歳の頃は怒られていないはず)
でも性に合っていたのか、以降10年以上続ける事になりました。

因みに新体操を始めた理由は、母が「タッチ」の南ちゃんに憧れていたからだそうです。母ミーハー。
新体操は好きだったけれどずんぐり体型だったし、特に大会で成績を残せるほど上手くもなく、髪の量くらいしか南ちゃんに近づけませんでした。

5歳 母の死

母が癌になりました。
見つかりにくく進行の早い癌だったので、発覚してから3ヶ月で他界。あっという間でした。

この時期を含め、幼少期の事は殆ど覚えていません。
覚えていないけれど書きたい事は色々あって、でもいざ文章にしようとすると涙が止まらないし、そのくせ読み返すと薄っぺらい…

母の事や幼少期の自分の事を頭の中から取り出して、言語化してみたい

というのが、noteを始めた理由の1つでもあります。

いつか言語化したい。それまでは玉ねぎの皮を剥くように、ぺりぺりと少しずつ、自分の身の回りの出来事や思いを正直に綴っていこうと思います。


長くなりそうなので一旦ここまで。

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