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回顧録② 出る杭は打たれた小学生時代

小学校〜高校時代をさらっと書きたかったのに、全然まとまらなかったので今回は小学生時代を。


小学1年生の時は、毎日同級生の男子に泣かされて帰ってきていたらしいです。
でも同居していた父方の祖母に「泣いて帰ってくるんじゃない!」と檄を飛ばされ続け、気がついたら男子を追いかけ回す方に…振り幅ひどい…

小学校時代は、とにかく父方の祖母の影響を多大に受けて成長しました。
(母の事同様、祖母についてもいつかしっかり書きたいと思っています。)


「片親だからって馬鹿にされるような人間になるな」
「勉強しろ。立派な人間になれ」
「お姉ちゃんなんだからしっかりしろ」


当時はそう言われる事に何も疑問を持たなかったし、むしろ大人の期待に応えたい気持ちが強く、そして目立ちたがり屋気質も混ざってそこそこ目立つ存在だったと思います。


学級委員長やったり
学芸会の主役やったり
鼓笛隊の指揮やったり


そんな出る杭は打たれるんですよね。
高学年の時、仲良しグループの中で「無視」される時期がありました。
グループ内のリーダー格の子が順番にターゲットを決めていく、よくあるパターン。
幸いクラス全体に広まる事はなかったので、他に気の合う子とつるんでいたらある日ぱったり終わりました。

リーダー格の子に「ごめんね」って言われて「何が?」ってすっとぼけて、なかった事にしたけど、自分のためにも相手のためにも怒れば良かったなと今は思います。

怒れなかったのは、「順番に」と書いた通り他の子がターゲットになった時もあって、その時は自分も加害者側だったから、罪悪感もあったからかもしれません。

この出来事以降、大人数でつるむのがあまり好きじゃありません。でも人間不信にならなかったのは、仲間に入れてくれたクラスメイトとの方が、むしろ気が合って居心地が良かったからだと思います。彼女たちとはもう音信不通だけど、ずっと感謝しています。ありがとう。


なんかいい話風にまとめてしまいましたが、書けていない事がたくさんあって、正直小学生時代からして黒歴史です…人生やり直すなら、小学生時代に戻って大人しく過ごしたい…


つづく

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