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名前は、まだない。

銀座線銀座駅のC4出口階段を登れば、横断歩道の先に工事中のビルの周りに大きな白いパネルが見えた。パネル横の長さが6〜7mあるのですが、ちょうど、ビルの一画に描かれた壁画のようです。

オレンジ色が鮮やかに目に入ってきました。

原画展が行われていると聞きつけ、仕事の合間をぬって、観に行ってみました。 

夏目漱石の「吾輩は猫である」に出てくる猫は、「吾輩は……」という言い回し、えっへん、と、髭を伸ばしているかのような話し方かな、と、スタッフさんが、絵のことや展示の趣旨のこと、描いた方の話をしてくださっていたときに、ふと、思っていた。

「名前はまだない」とは、絵のタイトルがまだないそうだ。描いた方は、shun sudo 

旅をしながら絵を描いていらっしゃるそうだ。スタッフの方に、これまでの作品をタブレットでいくつか少し見せていただいた。

絵は、もともと、壁面に描かれた6〜7mほどのペインティング。

地下駐車場の入り口にコーヒーやレモネードが飲めるスペースがあり、そのすぐお隣にギャラリーがありました。壁面に花が咲いたようにちょこんと絵はありました。コールドブリューをいただいて、その一枚の絵を眺めて見た。銀座の街を歩いていて、道端に花が咲いているところをまだ見たことはない。昨年の夏の始まりには、ソニーパークビル内でmillennium paradeのミニシアターがありましたが、今年はビルそのものがありませんでした。

この一年で風景が大きく変わっていた。

音符が跳ねたような黒い線で、初めにソニービルが建っていた頃の銀座の街の輪郭が残されており、現実の風景、過ぎ去った景色、その上に花が咲いたような、何かが生まれようとする、穏やかな寝息、笑顔、何かを押すのか引くのか、ボタン、スイッチ、弦楽器の弦が弾かれ、水滴は跳ね、羊水の中で、誰かの記憶がこれから始まる、そんな、幸せな瞬間を描かれたように思いました。

見た方が名前をつけるという、展示の仕方は、見る側にも何かしら見たことを形にして、描いた方に伝えられる機会があるわけで、描いた人の一方通行のような表現ではなく、観る人、描いた人が、互いに表す試み。唐突に門秀彦さんの作品を初めて観た時を思い出した。絵を描いているのに、音楽を奏でているような、とても、立体的な絵だな、と、思った。

観に来た方が、タイトルを赤ペンで思い思いに書いていらっしゃった。横文字が多く、日本語は、あまり見当たらず。

展示の名前は、empathy

共感。私はもっとも、不得意とすることですが、

絵をいろんな角度から眺めて、書いて見た。

タイトルは、選ばれると、その後、展示する際にそのタイトルが明示されるそうです。

展示は

銀座ソニーパークミニにて

8/7(日)19時まで

夏の思い出に、参加してみては?

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