霖雨について思うこと

「長崎は今日も雨だった」って、本当に連日雨だった。何かと雨に見舞われ、土砂崩れの警報など天気予報とニュースのチェックは、必須。

雨を待ち。蝶々が会場から、出ていったらおしまい。というライブをラ・モンテ・ヤングがやったんだ、と、文章で、その想像でしか、わからないのですが、ふと、無言になる時と同様、音楽を感じる。

雨に対しても、物語が始まりそうだと、思えることがあり、それは、音楽の始まりかもな、と、思う。

生温いリアルな雨は痛い。

霖雨が続く中、霧が煙る。車を走らせ、海岸線には、雨と波飛沫が舞い、本当にこの先に、誰かいるのだろうかと不安になりつつトンネルをいくつか抜けて、先へ先へと向かいました。

少しだけ、ご挨拶に、と、伺った先で、遺跡発掘の先生方を紹介された。音楽の話が多くて、偶然聴いていた音楽だったのだけれど、遺跡と音楽は切っても離せないものなのか、と、化石から歴史を語るお人は、雨が降ると空を眺めて、明日の天気を見つめる。

そうして、また、新しい音楽が生まれる。

人間が再生するのは、幾日も雨が降るからかもしれない。

松丸契の「霖雨」は、パプアニューギニアの雨を描いているのかもしれないのだけれど、長崎の雨にも、物語を始めさせてくれる曲だと思った。


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