桜の花とモノレール。
大泉学園の桜は散ってしまう前に、と、思っていたら、雨。すっかり散りかけた頃に家主とミーティングし、一階の改装が終わったら、お茶ミーティングしましょう。と、具体的な話しをする中で、家主のお話しを聞けば、身内の介護をしながら、仕事をしている、という。プライベートパーティが行われてきた場所。ずいぶんとお世話になった場所でもあります。もっと、開かれたらいいなぁと、思う。
しかし、なぜ、家族と近くにいたいと思うのでしょうね。家族って何でしょうね。私は、距離をとって過ごしていますが、その距離間がエネルギーになったりすることもあります。しかし、最期を看取りたいと思うのは、なんででしょうね。生まれる瞬間を知っている人の最期は見届けたいと思うのは、なぜでしょうね。
カフェは、いろんなところで、同時進行する、そんなイメージを持っているのですが、一番時間がかかると思っていたWEBミュージアムが一番早く進んでいるようで、どんな仕上がりになっているのか、楽しみです。海外からも楽しめるとよいなぁ。
いろいろ、実現に向けて、まだ、やらなければならないことが………
つい、先週、日比谷音楽祭の運営についてのお話しを聞いていて、100のピンチ、と仰っておられ、ほぼ、大変ってことですね。1ぐらいラッキーがあったらよい、ぐらいのニュアンスです。
きっと、文化を広めるってことは、人の輪が広がるってことですね。
しかし、楽しみ100でもある。
先月のことですが、モノレールに乗って、空港に行く途中、目の前に、白髪の男性と連れ合うお人が座られて、
にかっと笑いかけられ、
「肩、重い、肩の荷、下ろさないと」
小学一年生の遠足帰りみたいに、リュックを肩からずりずり椅子に背中で押し当て、肩からおろしていた。
(片想い、肩の荷、下ろさないと)
と、私には聞こえて、
軽く空耳アワーで、自分の耳の解釈と、誰かさんの笑顔に似てるな、なんて、ふと、顔を思い浮かべ、懐かしい気分に、
「東京の桜は散るのが早かね。鹿児島は、まだ、咲いとるよ。」
そのイントネーションは、おそらく、鹿児島弁で、またまた、ニコニコ話しかけられる。
誰かと勘違いされてるかもなぁとも思ったが、そのお方も旅の途中、親近感を持って話されているので、窓の外を眺めてみれば、葉桜になりかけた桜の花が咲いていた。滅多に同行しないこどもも隣で桜を眺めていた。
ほんの数分でしたが、不思議とその時間は、穏やかで、なんとなく、祖父母とお花見した気分を味わった。
(次の準備を始めたら??)
そう、言われているようで、軽くお辞儀をして、乗らなければならない、ターミナルで降りた。
ひとっ飛びで、九州に行ってみれば、確かに、桜の花が咲いていた。
(写真は、サッカーが盛んな国見町にあったサッカーボールの石像。ボール大事にされてるな。。。)
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