kei mastumaru-nothing unspoken under the sunと独奏に思うこと

このアルバム、タイトル通り、何も言うことがないのですが、何か言えるとしたら、いいアルバムだな。また、何度も聴いてしまっている。

「夏は短い」「霖雨」「When we meet again.」
……、ハナウタで歌いたくなる曲が入っている。スコールの後、晴れたな、そんな青空と雲からするりとぬけたギラギラした太陽や森林をかけぬける熱風。健全な、なんだろ、それ。でも、健全な印象を受けます。熱いんだけれど、軽やか。軽やかに吹かれるメロディーラインと早口言葉みたいなリズムと時折り爆発するようなノイズが面白いと思う。季節が通り過ぎて行く、忘れてしまいたい夏の思い出や昇華された衝動、忘れ去られた場所に残されたものや過ぎゆく時間が一瞬そこにある、音楽は、減衰するから、奏でた音は形として残らないのですが、特にライブは。だから、尊いと思う。美化してもしょうがないくだらなさ、みたいなバズ。絶妙な文脈が楽しい。

ドライブ中に聴くと窓から目に入ってくる街中の景色と違和感がなく、馴染む。物語を聴き手に物語らせるところがある。

When we meet again は、チャーチルオルガンでメロディーを弾いてみると、その空間は、神聖な時となり、お子さんに向けて弾いてみたら、どんな反応するか、と弾いてみたら、静かに眠りについた。

「さようなら、またね」

と、言った後に、また、会いたいなぁと思える人には、また会いに行くように、また、聴いてしまうな……それが名曲なのかもしれないな、と、思う。

「虫籠と少年」「暮色の宴」ご本人が封印してしまっているのでしょうか、聴けないことが残念だ。

つい、先ごろ、独奏ライブを拝見し、ライブでは、ノイズも奏でておられ、フライト時かと思うほど、耳抜きが必要なぐらいの気圧の変化があった。耳を一瞬塞いでしまうほど、きれいごとだけではない、気骨ぶりが露わ。ノイズは、無意識に聴き逃している、世の中の音かもしれない。影絵ですと、黒い影と無意識に影をうつす光を見ている。ノイズは、音楽のきれいな部分の裏側の音楽かもしれない。1セットずつ、飽きさせないアプローチ、2セット後に、質問する観客もいらっしゃり、質問を引き出してしまうライブをしてしまう。そんなアーティストが音楽教師だったら、面白いんだけれど、特別講師に来てくださらないかな、と、思う。

そういえば、アルバムのジャケットは、後ろ姿ですし、ライブでは概ね、暗がりのため、よくわからなかったお顔をようやく認識できました。お写真ありがとうございました。忍者のごとく、足早のため、勇者の後ろ姿を見送りました。撮ってくださったのは、メガネがお似合いの高橋佑成さんでした。たぶん、ビル・エヴァンスがお好きなんでしょうね。ありがとうございます。

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