他人を一般化することの罠
今回はボクの読書履歴から思考を整理してみたいと思います。
書籍はこちら。
タイトルのとおり具体と抽象を行き来する思考回路を身に着けるための様々な要素が紹介されています。具体⇄抽象を往復する思考力を高めることで身の回りの「誰かが出した答え」(知識)にとらわれず、「自分なりの解」を見つけるきっかけを提供してくれる本です。
割と難解な本なので全てを要約することはできませんが、その中でも実生活に活かせるなと思った「コミュニケーションギャップ」についてご紹介します。
他人にレッテルを貼るという行為
抽象的な表現なので、具体例を示していきます。
例えば、他人に「レッテルを貼る」という行為です。
・✕✕くんはいつも明るく悩みなんてなさそうだ
・〇〇さんは短気だ
・ウチのマネージャーは保守的だ
といった形で、他人のことを単純化して表現してしまうことはないでしょうか。ボクはよくあります。笑
一方で、自分が同じように他人から(ネガティブな)レッテルを貼られると、不満に思う。これは具体と抽象に関するギャップに当人同士が気づいていないことに原因があると著者は指摘しています。
要は、他人のことは抽象的に捉え、自分のことは具体的に捉えており、そこに認識のギャップがあるということです。
「自分ー他人バイアス」から抜け出すには
自分のことは具体的な部分が見えている分、他人から大雑把な捉え方をされると、反発したくなるのは当然のことと思います。
では、この「自分ー他人バイアス」から抜け出すには、上記の人間の思考の癖を認識し、その逆のバイアスを意識することが大切です。
一言で表現すると、他人のことは具体的に、自分のことは抽象的に見るということです。
つまり、他人とのコミュニケーションにおいては、他者のことは個別具体的な事情を念頭に置き、自分は特別視せず俯瞰して捉えるぐらいでちょうどいいのではないかということです。
他人を一般化することの罠
家族やパートナーなど気の置けない間柄の人とは、そんなことを気にせず自由に言いたいことを言えばいいと思います。
しかし、ボクの場合、過去に自分の信念=べき論を他者に押し付けるきらいがあったということは以前の投稿にも書きました。
これが原因で、特に職場において他人との衝突が多かった過去の反省から、他人を一般化(抽象化)することの罠にかからないよう気をつけようと思っています。
まとめ
他者との何気ないコミュニケーションにおいて、他人の個別性・具体性にも意識を向け、家庭の外で他人のことを愚痴っぽく言いたくなった時は、その個別具体を意識する。
そうすることで、安易に他人ことを評価する抑止になるのではないか。なぜなら自分が同じように大雑把に評価されれば嫌だから。
子供にもよく言いますが、「自分がされて嫌なことは人にはしない」
そう言い換えることもできるのかなとも思いました。
他者とのコミュニケーションのあり方は永遠の課題なので、また別の観点でも深堀ってみたいなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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