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【短編小説】幸福の勇気#4

以前、文学系投稿サイトで発表していた創作物を加筆修正して再掲しています。 以前投稿していたサイトからは削除してあり、現状この作品はnoteのみで発表しています。

前回

銭と希望

 ピッキーンという鼓膜が突き破られそうな高周波の音が寒村の空気に伝播した。
 白と灰色と黒のグラデーションで埋め尽くされた空を雪に素尻を突いたまま見上げていた汚らしい男の片耳からは血が吹き出し、男は衝撃で吹き飛び大の字になって仰向けでひっくり返った。そのまま見上げた空は変わらず白とグレーと黒のグラデーションで埋め尽くされてはいたのだが、星が瞬くように何かがちらっと光った。と、汚らしい男が認識した瞬間、寒村の大地が縦横にぐらんぐらん揺れて、縦揺れの際、男は仰向けのまま8メートルほど浮き上がり空中で反転して今度は腹ばいの姿勢で着地した。いかに雪の上とはいえ8メートルから落下したので衝撃はかなり強く、汚らしい男は脳震盪を起こして失神した。でもそれはほんの一瞬ですぐに身を起こした途端目の前が暗黒に閉ざされた、いやそうではなく視界が遮られて真っ暗だったのだ。汚らしい男の目前には件の大鴉が嘴を下に頭部を雪に埋もれさせながら雪の大地に突き刺さっていた。
 汚らしい男はどう行動するのがベストなのかよくわからなかった。しかしガキの腹を突き破って内臓を奪ったことからしてもこいつが凶暴な大鴉であることは間違いないのでここはひとつおべっかを使っておいた方が向後に憂いは無かろう、と最終的には決断し、全身全霊で大鴉の身体を揺さぶり押しまくって1時間ほどでようやく大鴉は大地から抜けた。
 「苦しゅうない」
 大鴉はそう言い、突然激しく嘔吐した。汚らしい男は思いっきり大鴉の反吐を浴び、項垂れた。項垂れると足元に溜まっている大鴉の反吐に視線が向いたのだが、その中にさきほどひっくり返った時に見上げた空にあったようなきらりと光るものをいくつか見つけた。大鴉は嘴をしゃくった。汚らしい男がそれを拾い上げ、周囲の雪で反吐をふき取って確認すると5枚の金貨であった。ピカピカの。
 大鴉は汚らしい男をじっと見ていた。そして突然カァーッ!と喉を鳴らし、ペッと残っていた反吐の滓を吐き出した。そこには何か文字が書かれた布切れが混じっていた。男が周囲の雪で大鴉の反吐滓を拭き取って確認すると、そこには寒村の外の世界、大都会にある総合病院の名称が墨汁で書いてあった。達者な隷書体であった。
 汚らしい男はゆるゆると顔を上げると、大鴉と勇気の顔を交互にそして最終的には大鴉に視線を固定したまま一見動いてるようには見えないような、もう目の錯覚に近いくらいの緩慢な動きで後ずさった。勇気も大鴉も全く動かず、ただ汚らしい男を見つめていた。勇気は虚ろに、大烏は鋭く、ただ見つめていた。

 8時間程かけて男は100メートル程動いた。
 すでに深夜だった。
 内臓を抜かれたあのガキには俺の姿は見えないだろう、しかし大鴉はといえばなんか妖怪チックなところもあるし微妙な感じだがしかし「鳥目」なんて人間の目の病気があって鳥は夜目が効かないという事から発した呼称であるからあの大鴉と言えどやはり鳥は鳥、きっと夜目は利かないだろうと、汚らしい男は自己を理論武装して無理やりに安堵し、そしてくるりと反転して脱兎の如く駆け駆け出した。妖怪チックと言うか、明らかに妖怪だろうあの大鴉は。人間語を話してるし。妖怪チックと言えばあのガキだ。内臓抜かれて生きてるって人としてあり得ないんじゃないの?妖怪?なに、なんなの?もう、とにかく汚らしい男は勇気と最初に会った時の半端なハードボイルド感とか世捨て人的な悲哀とかそういった表面の飾りのようなものが全部剥がれてしまって、ひたすらその場から逃げた。5枚の金貨を握りしめて。とにかくまず内臓を治す。その後の事は後で考えよう。汚らしい男に将来のヴィジョンは無く、ただ今を走っていた。汚らしい男はそれでもゲラゲラと笑い始めた。全力疾走しながらだったので冷気が侵入した肺が痛み、体の内側から凍りそうだった。
 「どうせ内臓治すからよ!肺が凍って砕けても交換するからよ!」
 男は絶叫し、全身で笑いながら速度を上げ、旋風を起こしながら走り去った。

 後に残された勇気と大鴉は汚らしい男が逃げ去った後も微動だにしなかった。じっとしているその間にも時は流れ、雪はひとりと1羽に降りつもった。東の空が白くなり始めたその頃「俺、寝るわ」そう言って大鴉は飛び去った。飛び去る大鴉の羽ばたきで周囲は一瞬の吹雪。荒れ狂う雪で眼前1センチも見えなくなった勇気の足の裏に貼り付いた氷柱は長さ幅高さ共に広がり、台座の様になっていた。
 「同じ姿勢でいると疲れる」
 勇気は呟いたつもりだったが唇が凍って音にならなかった。言葉は口腔から出ようと藻掻き、内側から鼓膜を叩いたが予想外に強靭なそれは破壊できず、しょうがないので勇気の頭蓋の中をぐるぐると回った。頭の中をぐるぐると回り続ける自分の声がとりあえず聴こえてはいるのだが、何の音だか全く理解できない勇気は内なる音と共にぐるぐると頸を回した。はずだったのだが実際は首も凍ってほとんど動かなかった。
 ただ一人になった勇気に雪はしんしんと降りつもった。

(…to be continued)

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