「虹の橋」を渡るということ
3月18日の朝に、大切な猫を失いました。
今回は、自身が大切な存在を失った時に実感した、愛する猫が渡った橋の話をさせてください。
SNSで見つけた橋
「虹の橋を渡る」
どういう意味か、ご存知ですか?
私が初めて知ったのは、動物保護団体さんのSNSの投稿でした。
「●●が虹の橋を渡りました」
写真はたくさんのお花に囲まれて眠る猫ちゃんでした。
前からSNSでたびたび見かけていた猫ちゃんが、寝てる…?
あれ。まさか。
動揺し、気になったので#で調べてみると、どれも愛らしいペットたちとのお別れの投稿。
そこには眩しいほどの愛と暖かい悲しみが溢れていました。
なんとなく使い方は理解したものの、
なぜ愛するペットとの別れを「虹の橋を渡る」と表現するのか。
虹の橋の正体
「虹の橋」は、正確な著者は不明の散文詩から来ていました。
ペットを失った人々の間でこの詩が知られるようになり、アメリカから世界に広がり日本でも和訳されるようになった。それが「虹の橋」の正体でした。
検索するといくつか和訳が出てきます。
原文から飛躍したものなど、いくつか存在しており、これですと断言しにくいため引用はつけませんが、とても短いものなので一度検索して読んでみてほしいです。
ネットで調べ続けていると、内容が飼い主にとって都合が良すぎる・非現実的すぎると思われる方もいらっしゃるようでした。
少しモヤっとしたあとに、でもこれは詩だから、それでいいのかもと思いました。
小説も、漫画も、映画も、テレビも、面白いと思う人がいればくだらないと思う人がいると思います。
感動する人がいれば、刺さらない人もいる。
都合が良くても非現実的でも、「虹の橋」という詩によって救われる心があるのであれば、それでいい。
もし別れのタイミングでこの詩に出会い、全然心に刺さらなかったら、それはそれでその人の解釈があるのだと思います。
初めて読んだ時の私は、涙もろいのもあって、読んだらぽろっと涙が出ました。
でも、虹の橋が本当にあると思っているわけではない。
この作品が多くの悲しむ人の心に寄り添っていることに、何かを感じたのかもしれません。
うん。これでいいのだ。
広く知られた理由
それにしても、
一部で共通用語になるほど、どうしてここまで「虹の橋」は広がったのか。
根底にはペットロスがあると思います。
ペットロスは動物看護/介護領域でも学ぶ、病気のケアと同じか、それ以上に重要な分野です。
近年、フードや獣医療の進歩によりペットの寿命は延びています。
それに従いペットと飼い主の時間が増え、必然的に別れによる飼い主のペットロス問題も増加しています。
いつか必ずお別れがくる。
それはペットを飼う人間全員が認識していることであるにもかかわらず、ペットロスは多くの人の心に深い傷を残し、鬱病などの精神疾患に至ることも少なくありません。
ペットロスは、その症状が大きく分類されています。
逃避/罪悪感/怒り/抑鬱の状態などです。
逃避
ペットの死に向き合うことができず、現実を否定してしまう
罪悪感
自身にペットの死の原因を見つけだし、責任を感じてしまう
怒り
他人にペットの死の原因を見つけだし、怒りに変えてしまう
抑鬱
直接的なペットの死以外にも、原因があることが多い
ペットの存在により保っていた心の均衡が壊れてしまう
またこれらは、ペットの亡くなり方や、周囲の人間との感情の温度差などにより更に悪化してしまうことが多々あります。
重要なのは、自分の中に悲しみを閉じ込めないこと。
信頼できる人間や専門家に、心情などを吐露することも有効です。
ペットロスが深刻になりつつある現代社会で
「虹の橋」の存在は、
亡くなったペットたちが飢えも苦しみもなく楽しく過ごす場所でありながら、
別れに傷つき疲れ果てた飼い主の心に寄り添う場所にもなっている。
多くの人に広まっているわけが理解できました。
人々に必要とされて生まれた橋
政治や宗教の話。
保護動物や環境問題の話。
また少し毛色が違うかもしれませんが、
死の話も、嫌厭されがちな世の中です。
誰の周りでも、誰にでも起こりうるすごく身近な話なのに。
やはり私も、死の話は得意ではありません。
理由は簡単で、人間は強い時もあれば、弱い時もある生きものです。
いつもいつも、死を受け入れられるわけではありません。
明るく楽しんでいる時にそんな話はしたくないでしょうし、弱っている時に口にするのはあまりに辛い場合もあります。
それでも死の話は、時に必要です。
先述したように、誰にも避けては通れないからです。
そんな時に「虹の橋を渡る」という表現は、悲しむ心を少しだけ穏やかにしてくれました。
一昨日、猫を亡くしました。
元気になったら、家族になろうと誓った猫でした。
一昨日、猫が虹の橋を渡りました。
元気になったら、家族になろうと誓った猫でした。
実際に自分で口に出してみると、感情が全く違いました。
直接的な表現を避けることは、自分の心を穏やかにするだけでなく、聞く側への配慮にもつながると感じました。
誰だって出来れば話題にすることなく生きていきたい、でも絶対に誰の近くにもある死。
「虹の橋」は
人々に必要とされて生まれてきた橋なのだなと実感する今日です。
今回はちょっと短く終わります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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