高学年担任が押さえておくこと

お久しぶりです。なかなか更新できずにいました。
忙しいだけの理由ではありません。note書く時間は確かにあったのですが、気持ちがnoteに向かわなかったというのが正解だと思います。
怒涛の3,4月をもうすぐ終えそうです。

そんな中、私自身が陽性者として10日間のお休みになってしまいました。
教員の方なら思うはず。
「え、この4月に10日も…(遠い目)」
私もまさにそう思いました。
ただでさえ、子供たちとの新しい出会い、やること多めの4月、決めることも盛りだくさんの中、ここで10日も休むことは本当に最悪だと思ってしまいました。
ただありがたいことに、管理職も学年もそして学年超えて気にかけてくださり、「心配しないでいいからしっかり休んでね!」と言っていただけました。
治ったら馬車馬のように働きます…

さてさて、今年は5年生担任です。直近ほぼ高学年です。
5年生と言えば私自身があまりいい思い出がありません。ことごとく失敗ばかりするような1年だったなという思い出があります。

きっと「高学年だから」という言葉だけが独り歩きしていて
『じゃあどうすれば高学年と言えるのか』という根本的なことがわかっていなかったような気がしています。
なので今日は私が考える「高学年とはどういうことなのか」という話をしたいと思います。



1.自分のことは自分でする

そもそも論なのですが、自分のことを自分でできるようになるということが絶対的に必要です。私のクラスでは朝の時間に連絡帳を書かせます。もちろんほとんどの子は朝書きますが、数名友達とのおしゃべりに夢中で書きません。そういう小さなところを積んでいくことが4月に必要です。
「え、書かなくてもいいんじゃん」という風潮を生みだしてしまうのは非常に危険です。
自分のことは自分で。これが最低限のルールです。


2.トラブルは絶対に起きると想定しておく

5年とはいえ、まだまだ4年に近いところが多いのも事実。そうなると本当に些細なことで喧嘩したりもめたりします。
そんなときはまずは「どうした?」の一言を私はかけます。
たとえばAさんとBさんが休み時間に何かあったらしく、Bさんが泣いています。Aさんはなんだかムスッとしています。

私「(Bさんに)どうした?」
B「Aがおれを殴ってきた。」
私「Aに殴られたのか。それは痛かったなぁ。どこ痛い?」(けがの部位の確認)
私「なにかあったのかな?」(状況整理)
B「ドッジボールしてたら、おれがAにボールあてたのに『当たってないよ』っていうからそこからけんかになって…」
私「なるほど。ルールを守ってもらえなくてカチンと来たんだね。それでAさんとどうしたい?」(今後の見通しとBの思い)
B「殴ったことは謝ってほしい。そしたらまた遊びたい。」
私「わかった。じゃあAさんにも話聞いてみるね。」

のように話を聞きます。Aさんにも同じように聞きます。
けがの部位、状況整理、どうしたいか(仲直りor最低限の付き合い)の3つは確認させます。
謝れても心から許していないこともあり得ます。
その時はそれはそれで距離を置くことも手段として教えます。
(ただし無視はダメということもセットで伝えないとのちのち大変です)


3.周りのために行動する

これが高学年の最大にして最難関の問題です。
ついついクラスを飛び出て学校のためにと思いたくなるのをぐっと堪え、まずは自分のクラスでクラスのためにいいことをやってみようというものです。
ゴミが落ちていれば、自分が落としていなくとも拾って捨てる。
授業で話し合いの時間になれば、積極的に意見交換する。
先生遅れてるけど、とりあえず読書でもして待っている。
給食当番だから早めに準備する。

こういうことの積み重ねが最終的に学校を動かすリーダーとしての基礎を作る上で大事になると思います。

自分がしたいことをしていい時間と、みんなが気持ちよく過ごせるように自分が少し我慢する時間。この時間の使い分けができたらそれが高学年だと思います。


4.おわりに

高学年は大変なことが増える分、大人としての会話ができるので私は好きです。でも大変なこともたくさんあります。
自分たちだけでいろんなものを作っていく姿を見ることができるのは、高学年の楽しみでもあります。

無理せず、残りの190日くらいを楽しみましょう!
(私は早く復帰したい…)