見出し画像

2020年4月8日 デマがまわってきた

東日本大震災の1年後くらいに、「当時のことを書き記しておけばよかった」と思った。「あの時どうだった?」という話を人とよくするのに、覚えていないことが多かったからだ。特に自粛の流れで広告の仕事がなくなっていったこと、それに付随してACの「ぽぽぽぽ〜ん」ばかり流れていたことなどは、今振り返ると異常な事態で、経過を書いておけばよかったと思う。

というわけで、緊急事態宣言が出てからの日々について、記録を残しておこうと思う。noteを書き始める時は、何かおもしろい企画を立てようと思っていたのだが、そういう感じではなくなってしまった。ぬるっとただの日記を始めることにする。

4月8日
夕飯:AIR SPICEのスパイスを使ったマスタードサーモンカレー、かぼちゃのサワークリーム和え、ナスのポン酢漬け 山椒風味

デマとファクトチェック

趣味のサークルのLINEグループに、デマがまわってきた。日赤医療センターの医師からのメッセージと、慶應大学の佐谷秀幸先生という人からのメッセージ、ということだった。言っていることは極端でもなくある程度正しいが、文章が変。医師や研究者がこういう書き方をするだろうか、と疑わしい。

コピペで長文メッセージがまわってくるのは初めてで「おっ、これがデマの拡散か」と興味深く思った。私がSNSやリアルでつながっている人は軒並み情報メディアリテラシーが高く、こういうことをしないので新鮮だった。

と思っていたら、すぐに情報を拡散した本人が「慶應の研究室に問い合わせた人が、佐谷先生から『これは私自身が発信した情報ではない。私の名前を入れて誰かが発信したものだ』という返信をもらっていた」という、訂正情報を送っていた。すごい。ファクトチェックは大事。

結果的に、もっともらしいデマ情報が多く流れているということを、グループのメンバーに警告することができたのではないか。よかったよかった。

ちなみにTwitterではよく医療従事者への誹謗中傷がなされている(「コロナがうつるから寄るなと言われた」など)、という投稿を見るが、自分の周りでそんなことを言う人はまったく見かけない。ドラッグストアで怒鳴っている人も見たことがない。分断を感じる。私は温室の中で生きている。

ラーメン屋は盛況

昼は近所のラーメン屋に行った。ここは店主とも知り合いで、わりとよく行っている店だ。閑古鳥が鳴いていたらどうしようと思ったが、人がたくさん来ていた。よかったよかった。席数を減らしているので、少し遅く行ったら並んだかもしれない。

私は和風醤油ラーメンを、夫は黒ラーメンを食べた。いつもは一口交換するが、一応今日はやめておこう、ということになった。

近所の飲食店を見ていると、「ランチくらいは外で食べたい」とランチ需要が増えている気がする。ラーメン屋はもともとアルコール飲料で利益を得るビジネスモデルではないし、この状態でもあまり影響がないかもしれない。どうか生き残ってほしい。ここ、おいしいから。

危機意識の変化

危機意識がどう変化してきたかをカレンダーを見ながらたどることにする。

・1月28日
 日本国内の感染者は7人。

・2月5日
 取材。新型コロナウイルスの影響で、クライアント企業の中国での売上が激減。危機感から会社の予算配分が変わってきているという話を聞く。この頃は中国で流行している感染症、という認識。
横浜港に停泊するダイヤモンド・プリンセス号のニュースが流れている。1月25日に下船した男性から感染が確認され、この日から14日間、乗船客が外に出られないことになった。

・2月7日
 書籍の打ち合わせ。まだ、中国で流行している感染症という認識。中国では会社全体をテレワークにしたところが出ている、という話をした記憶。まだまだ対岸の火事。

・2月8日、9日
 愛知県の桑名あたりに旅行に行く。毎年恒例、年始の帰省代わりの夫実家との家族旅行。桑名の料理屋で食べた牡丹鍋、おいしかった。はまぐりで有名な人気店は予約とれず。半年先まで埋まってるとのこと。マスクはしてたけど、花粉症対策のためという意識。

・2月10日
 昼は目黒で打ち合わせ。新型コロナウイルスの話題は出るものの、まだ中国で流行しているという意識。夜は四谷の北島亭に行き、毎年食べている「トリュフのパイ包み焼き」をいただく。今年も意識がぶっ飛ぶくらいおいしい。アジア系の観光客が一人で食べに来ていた。それもまだ普通の光景だった。北島亭の料理を一人で食べ切れるかは別にして。

・2月13日
 白金高輪で取材。対談テーマはリモートワーク。しかしまだまだ、「東京オリンピックの時期は公共交通機関が混雑するから、テレワークが推奨されている」みたいな話が出てくるくらいの危機感。新型コロナウイルスについては中国の問題、という認識。これは、記事が出るころにはだいぶ変わってしまう。

・2月15日
 ダイヤモンド・プリンセス号の感染者が285人まで増加。

・2月16日〜17日
 夫、中部地方に出張に行く。今思えば「不要不急」の内容のようだったが、この頃はまだ普通に行けた。

・2月18日
 市ヶ谷で取材の後、新宿で打ち合わせ。この頃にはもう、日本でも新型コロナウイルスが流行しているという認識。「26〜27度のお湯でコロナウイルスが死ぬ」というデマはもう出回っていた。このデマ、何度聞いても矛盾が多すぎておもしろい。
新宿は人であふれていた。ベルクもぎゅうぎゅう。人々の生活にそこまで変化なし。

・2月19日
 日本での国内感染者は84人。武蔵野市の個人宅で取材。手洗いはするが、まだ取材を自粛しようという話は出ない。夜は友人に会って、3月末のライブのチケット代の受け渡しをする。友人はこの時、Perfumeの2月26日のライブに行く予定だったが、この公演は中止となる。ライブの中止、延期の話がぼちぼち出てきた頃。

・2月20日
 1月に膝の手術をしたので、手術した病院にリハビリに行く。この頃はまだ病院も通常営業。リハビリルームも人がいっぱい。たしか、マスクも普通に売っていた。
福岡の市営地下鉄では「マスクをしないでせきをしている人がいる」と乗客が非常通報ボタンを押す事件が起こった。

・2月21日
 代官山蔦屋書店に、幡野広志さんと編集担当大熊さんのイベントを観に行く。人がいっぱい。一応マスクしたまま聞く。まだ、イベントの中止・延期という話はあまり出ていない。

・2月23日
 昼、大森の行きつけの店でおまかせコースを食べる。以前から予約していたし、特に飲食店に行くことにためらいはない。

・2月25日
 明治神宮前あたりで取材。サイトの担当者(昔からの知り合い)が「え、マスク品薄なの? 渋谷のドラッグストアで大量に売ってたよ」と言っていた。この頃はまだ、普通に売っている店があったということだ。うちの近所のスーパー内のドラッグストアのマスクはもうなかった。
5月の夫の誕生日に向けて、数カ月先まで予約で埋まっているという人気店に電話したら「キャンセルが出たので3月上旬でとれます」と言われる。3月だと誕生日は関係なくなってしまうが、空いているならと予約。この頃から飲食店の予約のキャンセルが始まっていたようだ。

・2月26日
 毎月行っているスキンケアサロンに行く。店主が「中国のウイルス兵器が漏れたんだ」「中国はそのウイルス研究所を爆破して証拠を隠滅した」「中国人はネズミを食べる。だからあんなウイルスが流行るんだ」的なことをずっと言っているのでげんなり。しかし、施術が終わって私が店主の近くに座ると、そういう話をしない。言いたいことを言って満足したのか、私がそういう話にまったくのってこないことを察知してるのか。しかしまだまだ他人事であった。今に比べれば。
夜は前に勤めていた会社の先輩が、ライターになりたいという若者と会わせたいというので相談飲み会。鍋などはあまり選びたくない、という気持ち。人のつばがかかるような距離に長く食べ物を置いておきたくない。警戒意識は強くなっている。恵比寿の店は空いていた。
北海道は感染拡大を受け、小中高等学校が休校になる。

・2月27日
 ついに、オンラインミーティングを実施。書籍の打ち合わせをするために渋谷で会う予定だったが、前日に「こんなご時世ですし、オンラインにしませんか」というメールが来る。この方とはその後何回かオンラインミーティングをしているが、まだ直接会ったことはない。いつか会いたい。いつになるんだろう。この頃はまだZOOMの潮流が来ておらず、普通にGoogleハングアウトで行った。

・2月28日
 北海道に緊急事態宣言が出る。週末の外出が制限されるとのこと。札幌に住む両親にLINEで様子をうかがう。マスクもアルコール除菌シートも、以前からのストックがあるから大丈夫、とのこと。頼もしい。

・2月29日
 25日の件をうけ、夫と「もしかしたら今は、人気の飲食店の予約が取り放題なのでは」と話す。そして、鮨竹に電話したら当日予約がとれてしまった。銀座は閑散としていたが、鮨竹は3組くらいお客さんがいた。店主の竹内さんは「普段は電話が来たらうれしいけど、今はキャンセルの連絡ばかりだからこわい」と言っていた。豊洲市場もガラガラとのこと。2軒目に行ったバーは盛況だった。この頃は、まだ普通に飲み食いする人たちがいる状況だったのだな。

長くなったので、3月の振り返りはまた次回。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?