見出し画像

少年院の桜

いつも行くスーパーが改装工事のため暫く休みだった。なので、いつも買ってるドリンクやらお菓子やら朝食べるためのブッセなんかが、手に入らなくて、違う日常になっていた。スーパーが変わると食べる物や飲む物まで変わっちゃうんだねと思った。変なこだわりがあるのだ。例えばお菓子は◯◯製菓のこれじゃないと嫌だとか、烏龍茶でさえ、ここの製品じゃないと、なんか違うって思ったり、私ってそんなわがままだったのかなと改めて気付く。
置いてる商品が別のスーパーでは若干違うって事を思い知らされた。ほんの少しの事が変わるだけで自分の生活が乱されるみたいで落ち着かない気分で数日を過ごして少しばかりイライラが続いた。
そこへ持って来て急な仕事が入って慌ただしく会社と自宅を往復しPCにデータ入力をしたり、集計表をプリントしたりで何だか神経を無駄に使ってしまった。これもコロのせいなんだけど、私の仕事は逆に要らぬ案件が増えてそれが慣れてないものだからやたらと疲れる。頭の中が整理出来ないまま年度末、年度初めに切り替わり、のんびり春を満喫する余裕もない。車で行き来するたびにいやでも満開の桜が目に入って来るので、胸の奥がザワザワして止まない。
そう言えば川沿いの道を走っていた時、川と反対方向に老人ホームと少年院の建物が並んで見えた。どちらの施設の庭にも桜の木が咲いていて、特に少年院の方は誰もいないグラウンドに教官が立つ四角い演台がポツンと置いてあり桜の花びらが周囲に舞い落ちていた。グラウンドの周りには高いフェンスに鉄条網が張り巡らされていて、一般の町の世界と隔離されている。少年院の子供達はあの桜の花を見てどんな想いを持つのだろうか、ふと思った。
老人ホームの方にも桜の樹があり、やっぱり花を咲かせている。老人達も桜は見るだろう。それはどういう想いなのかなとそちらにも気を向けてみる。
なんだか急に悲しい気持ちに襲われる。
とりあえず仕事を終わらせ久しぶりに図書館へ寄ってみる。入口で体温を測られ、用紙に氏名と連絡先を書かされる。前に来た時はこんな事はなかったはずなのに、これもコロのせいでこんな事になっている。結局、目的の図書は見つからなかった。
ようやく落ち着いて家に戻ってひと息つく。最近気にいってる甘酒を飲むのだが、これも違う製造元なので今は我慢してそれを味わっている。
でもこんな日々が続けばやがてそれが日常になって全て慣れてしまうのだろう。人ってそんなものだ。
与えられた環境に慣れて行くのだと思う。
例えば東京の暮らしでも、田舎の暮らしでも、少しずつ馴染んで行く。
改装中のスーパーは明日から営業再開になるので私の日常もまた元に戻って行くだろう。そうすればまた小説を書く心の余裕も生まれるかも知れない。もしかしたらもう書けないかも知れない。これまで書いて来たものに後悔はしていないし、自分では気に入ってる。人には好き嫌いがあるのは仕方ない。でもダメ出しされる筋合いはない。私は私の生きて来た記録として作品を創りたいのだ。飲み食いするものが急に変えられないように作り出すものもその時に出来るものしか作れない。今年の桜は今年の気持ちで見たい。少年院の桜も老人ホームの桜もどの様に見られているかなんて気にしてないだろう。それは見る人が勝手に決める事だ。桜に責任はない。たとえ出来不出来があったとしても、精一杯咲いているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?