北村晴男弁護士「共同親権、裁判所が利権失うのが怖い」
「日本の家族制度を考える」詳報③
SAKISIRU編集部
11日に開かれたシンポジウム「日本の家族制度を考える」に登壇した弁護士の北村晴男氏の講演内容は次のとおり。北村氏は民間法制審の家族法制部会長として、制度案を取りまとめた責任者。
(※本記事はAIによる文字起こしをベースに編集部で整文しました)
法務省法制審に左翼活動家
皆さん、こんにちは大勢の皆さんお集まりいただいたことに感謝いたします。ありがとうございます。法務省から見ればですね、「民間法制審?何だそりゃ?」と。「一介の弁護士が何を言ってるんだ」ということでございました。現在もそうであります。
ただ、昨年の秋にですね。法務省はなぜか私に法制審議会の家族法制部会の中で講演をしてほしいということをご依頼がありました。その中でお話をさせていただきました。どのように議論が変わっていくのか、変わっていないのか、そのご覧になりました。
基本的には、私がお話しさせていただいたことは、少なくとも法務省の中では一歩も動かなかったのかなと思っています。他の方から言われると「いや、もうそれはもう単独親権派の皆さんが『もう単独親権でいいんだ』という意見はもう封じられましたよ」というふうに言われています。
ただですね。私から見ると、そもそも法制審議会の立ち上げの段階で先ほど櫻井(よしこ)先生からメンバーの話がありました。これは意図的にいわゆる左翼活動家を複数名入れております。
これはどういうことかと言いますと、裁判所は裁判官自体は個々の裁判官は私たくさん知っていますが、大変立派な方、ものすごく多いです。ほとんどが立派な方と言っていいでしょう。
運用と利権守りたい裁判所
ただ、司法行政に携わる元裁判官というか、裁判官として法務省に出向している方。この方は、いわゆる省益を守るというか、裁判所の利益を守ることを最重視してこの法制審議会のメンバー選びをしたというふうに私には見えています。
と言いますのは、例えば安保法制の議論をしましょうということになった時に、9条護憲と言いますか、9条原理主義者の方々を3名も4名もその議論の中に入れますかと話しますね。これやったら安保法制なんかできるわけないでしょうね。絶対に絶対にできないことを、法務省は意図的にやりました。
なぜやったかというと、裁判所は実務の運用を絶対に変えたくないからです。変えるのが怖いんですね。どう怖いかというと、今まで裁判所はどういう運用をしてきたかと言いますと、離婚するんですね。夫婦が仲悪いんですね。
じゃあ、法律が単独親権だから、単独親権どちらか決めますと決めた後で、あなたは親権者じゃなくなったけど、ここに会いたいんですか?お子さんに会いたいんですか?じゃ、お母さんに妥協してもらいましょうね、お母さんは嫌だと言ってますよ、じゃあ、ここに面会、ごめんなさい。監視付き面会交流の施設があるからこちらにどうぞ...。
こちらに行った場合はよくて、1ヶ月に1回だけ、しかも監視の下で子供と会う。たった2時間お金がかかる。そこには利権が生まれています。裁判所の利権とも言ってもいいものが生まれています。これは裁判所の元職員の方が立ち上げた組織。もちろんそれ以外にも組織があります。
それらを運営している組織は何せ年間20万組を離婚していますから、その中に2000人の子もたくさんいます。そうすると、それで施設を利用する人たちがたくさんいる。この利権を一遍に失うことになります。
監視付き面会交流の実態
原則共同親権になれば監視付き年間交流というのは、親が子に暴力を振るう、こういう場合にだけ必要な施設なんです。そういう親であれば、それは監視付きで会わなきゃいけませんよね。
でも暴力なんか振るったことは一度もない、例えばたった一度だけカミさんが浮気したからカーッとなってケツを引っ叩いた、これだけでこれはもう“DV夫”とみなされて、たった1回ですよ。
夫婦喧嘩の中で奥さんが旦那を殴ることもたくさんあるんですが、今私が申し上げたら典型的なケースを申し上げています。
奥さんが浮気したんでカーッとなって1回だけケツを引っ叩いた。これで大変な暴力を振るわれたといって、これは監視付き面会交流に送られます。
それだけじゃないです。何の暴力も振るってない親が会わせたくない元妻が、母親がこの父親とこう会わせたくないという、ただ、それだけの感情でもって、監視付き面会交流に送られています。これが裁判所の実務の運用です。そこには利権も生まれていますね。
それだけじゃないです。欧米で行われているような共同親権になった場合にどういうことが生まれるという恐怖を裁判所が抱いているか、裁判所の司法行政をしている裁判官がどういう恐怖感を持っているかというと、こういうことです。
“声が大きい人たち”の思惑
あれだけ仲悪かった父母が子どもの養育の仕方について共同親権だから共同監護させなきゃいけない。共同監護になったらこちらで週に1回、まるが2週間に1回、3日間4日間、宿泊付きで一緒に育てようという提案をしても、こっちは嫌だと言っている。
じゃあ、裁判所に決めてもらおうとやってくる。あるいは進学の問題になった時にこっちは私立に入れたいと言っている、こっちは公立に入れたいと言っている。それでも裁判所に泣きついてくる。これまでの裁判実務と比較して膨大な量の家庭裁判所への事件の持ち込みがあるだろうとすれば、現在の裁判官の数ではとてもまかないきれないという大変な恐怖感を持っている。
この恐怖感を払拭するためにはどういう方法がいいのか。単独親権派の左翼活動家を複数入れて法制審議会に入れて「単独親権、共同親権なんかダメなんだ」と議論、声が大きい。
ですから大変声が大きい方々を入れて、そういう議論に持っていって、万が一共同親権ということになっても「骨抜き」にすることができると彼らは考えた。その思惑の通り今進んでいます。これ間違いないことです。
そうでなければ、なんで私がこんなことでしゃべらなきゃいけない。私、政治家になろうなんて気持ち1ミリもないんですよ。何もないのにこれをやらなきゃいけないと思ったか、そこをちょっと理解していただきた。いろんな意味で理解していただきたい。
弁護士生活33年で見てきた不幸
私は弁護士として33年間、34年間の弁護士生活してきて、離婚事件は専門ではありませんにもかかわらず、離婚は時々事件として受任してきました。その中で多くの不幸を見てきました。
もう子供と会えない父ちゃん、子供と会えないおじいちゃん、おばあちゃんがどれだけの不幸を背負ってきたか。それだけじゃないです。父親と会えない子供がどれだけ精神を歪められてきたか。
おじいちゃんおばあちゃんに、ずっとそれまで愛情深く育てられてきた子がある日、突然父親にもその係累にも一切会えなくなるという、そういう子供の悲劇もたくさん見てきました。
そして今回この民間法制審に入るにあたって離婚をよくいわば離婚専門としている女性弁護士に聞きました。「どう思うかと」。率直に「ぜひ、それは欧米型の本当の共同親権。これを目指して先生がやってもらえるんだったら、ぜひやってください」と言われました。それで背中を押されて今ここにいるわけです。
具体的に申し上げます。と、さっき申し上げた家庭の大事なこと、言わせました。家族というのは私から見ると国家の構成単位。基本ですよね。家族がしっかりしていなかったら、国なんてバラバラで、もうどうしようもない家族は国の基本だと私は思っています。
その中で左翼活動家の皆さんは家族をどう捉えているか皆さんご存知だと思うけど、一応念のために申し上げます。「家族というのは男性支配の組織である。だからこれ解体しなきゃいけない対象なの」、こう考えています。
彼らは「離婚って何ですか」と言うと彼らの危機感の中でどう言っているかというと「離婚イコール男性支配の組織からの女性の解放運動」であるとこう言っているんです。
そう考える複数の活動家が法制審議会の中に入って大きな声を上げた結果、今出てきているのが彼らの叩き台なんですよ。もう必然なんです。
子の幸せ1ミリも考えない議員たち
この人選をした裁判官は思い通りに進んでいます。そしてさらに思い通りなのは自民党の例えば議員の皆さん、本来は共同親権、共同監護を推薦していただけるはずの議員の皆さんに一生懸命、裁判所も命がけでオルグしています。
どういうことか「今せっかく法務省が今せっかく共同親権の第一歩第二歩を踏み出したんだから、これに水を差すような活動はやめてくれ」。その結果、その説得を受けた議員はどう考えるかというと「やっぱりここは法務省に恩を売っておいた方がいいよね」と。
「自分の今後の議員活動を考えれば、どう考えても自分は例えば弁護士出身の国会議員だし、今後の議員人生を考えれば法務大臣、あわよくばはその上(に)なりたい」。
例えばですよ。これはね。あくまで例えば法務省に恩を売っておいた方がいいよねと考えて、一生懸命議員の皆さんにもおそらく働きかけをしているはずです。「今一歩を踏み出さなければどうしようもない。だから多少の問題点もあってもこれで前へ進めるべきだ、法務省に賛成と言うべきだ」とおっしゃっているはずです。
この考え方は自分の議員人生のことは考えているが、子の幸せなんて1ミリも考えていないそういう人の行動です。間違いないです。
これは私はその方とも議論しました。議員会館の中で「いやいや先生、法務省案で言えば50年今の現状が続きますよ。ということは、毎年何十万人も父親を失った子ども、子を失った父親が生まれ続けていくんですよと、それでいいんですかと」。それに対してもちろん反論は一切ありませんでした。それは反論できるはずもないんです。
法務省案で予期される運用
具体的なことを申し上げます。片山(さつき)先生がすでにおっしゃっているかもしれませんが、ごめんなさい申し上げます。重複があればごめんなさい(※編集部注:北村氏はシンポジウム開始後に入場)。
まず、法務省のたたき台でどうなっているかというと、共同親権にする場合は父母の合意がある場合が1つ、父母の合意がある場合は、今までもそういう良好な離婚後の良好な父母の逃げかけがあって、主婦に1回、2週間に1回会えるそういう稀な事例は今もあります。そういう人が共同親権で名前にしましょうね。というとき、何も変わりません。
もう1つ、「裁判所が子の利益を勘案し、共同親権か単独親権か決める」とあります。これは恐ろしいですよ。裁判官は法に基づいてこれまでずっと仕事をしてきています。そうすると、これまでの考え方が染み付いています。
その上で基準を示さずにこの利益を勘案してどっちがいいかな決めなさい、という風に投げ出されたらどういう運用をするかというと、「父母が仲悪いから、これ共同親権にしたらこの利益に反するよね」と言って、これは単独親権にします。そういう運用になる。それを目指しているんです。
これはそれを恐らく、裁判所に入った裁判官、活動家の方々に対する説得材料として使っているはずです。そういうもんです。裁判所、裁判官(は)入れられた方がいいですから。しかもそのエリート中のエリートが司法行政にただわったつわって、検察庁に法務省に出向していますから裁判官がね。だからそういう餌をまいています。なので、これまでの運用は1ミリも変わらないということなんです。これは少なくともその恐れがあるんです。
「監護者指定」という抜け穴
2つ目。親権とは別に監護者指定という制度を設けようとしています。これ監護者指定って何かというと、いや、もう共同親権で話し合って、これこれこうで、あの子ども、欧米型のね。1週間は母ちゃん、1週間は父ちゃんのところで生活する。そんなことも話し合うのもめんどくさいし、もう無理だと、もうあんなやつ嫌いだから、だから監護者指定してください、というふうに裁判所に申し立てができます。
この監護者指定の申し立てをすると、裁判所は明確な基準なく、まあ、監護者はこっちだね、と決めます。それは今までの習い性で、彼らは監護の継続性。これまでずっと一緒に暮らしてきた、一緒に生活してきた、一緒に看護してきたお母さんが監護者で結構です。
例外的に子を虐待している、あるいは虐待していると思われるような母親だけ、あんた監護者だめだよね、父親だよね。こういう決め方をします。必ずそうなの。
もう一度言いますと、これは「抜け穴」として法務省が作り上げたものです。本当の共同親権だったら、監護者指定制度なんか必要ないんです。全く必要ないです。何の意味もないんです。その抜け穴のためだけに必要なんです。
そしておそらく法制審議会の議論の中でもいや、もう世間の趨勢もね。民間法制審議もあんな訳のがあるわ、と言っているし、世間の趨勢がこうだから、もう共同親権の名前にするけれどもこの監護者指定があるじゃないですか、と。これで大丈夫ですよ、と。
これまでのあなたの利権も守られるし、これまでのあなたの考え方もほぼ実質的には守られるんですよ。よく考えてくださいよ、と一定の程度説得しているはずです。それが2つ目の問題です。
離婚制度は子ども置き去り
これはそもそものなのですが、我々は人を好きになって結婚しますね。その時に何の勉強も必要ないんです。これは生物として動物として本能でもって結婚できるわけですから、一定の年齢に達せれば結婚して婚姻届出せるわけですね。本能と言ったら怒られるけれども、計画の人もいますが、お子さんを作りますね。ここまでは全然OKの制度ですよね。
自由な意思で結婚できて、自由な意思で子供を産んで、そしてその後自由な意思で離婚できるわけですね。子供はどうなるんですか。それ、お子さんのことを何も考えない今法制度になっていて、この法制心の議論もそこは全く触れていないんです。
ということは、子供ができて人間として成長しましたよね。私も実感しました。成長しましたよね。でも、相手が嫌になったから離婚する。あるいは他に好きな女性好きな男ができたから離婚する。離婚したいと言えば、相手は8割ぐらいは応じます。これ、泥沼やってもしょうがないですからね。愛情は取り戻せないので離婚します。
じゃあ離婚。その時にじゃあ、子供を置き去りにしていませんか。私は我々は子供を置き去りにしているから、だから離婚するな、と言っていただいていいでしょう。ほんのわずかな子供に対してのケアをしてから離婚しましょうよ。日本での離婚は約8割が協議離婚です。裁判所の手続きに入っていません。協議離婚、それは構いません。
協議離婚する時に子供の心理。子供がどう考えるか嫌いになった父ちゃん嫌いになった母ちゃんについて、あいつは嫌いなんだということを言い続けたら子供はどう思うんですか。子供が月に1回の父親との面会お祝いに行って帰ってきた。
「今日、父ちゃんと会って楽しかったよ。めっちゃ楽しかったよ」って。子供が言った時に母親が顔が曇る嫌だな、きつく当たる。そのことによって子供は大変な葛藤を受けて、母ちゃんの前では父ちゃんと楽しかった思い出を話しちゃいけないんだ、それまで大好きな父ちゃん。月に1回会ってた父ちゃんと会うことすら母ちゃんは望んでないんだ。そうすればどうなっていくんですか。この心理の葛藤、大変なもんです。
子どもの心理を知ろう
では、離婚する時に親が離婚するんだったらせめて子の心理について勉強しましょう。我々は車の免許取る時に勉強していろんなこと勉強してようやく免許もらえますよね。そこまで行かなくてもいいから、せめて離婚した夫婦、父親、母親と子供の関係、その心理について当たり前のことをまず勉強してその上で勉強したら行き着く。
ところが自分だけが囲い込んで育てることがいいことじゃないんだと嫌いな父親だけどあの父親も子どものことは大好きなんだ。それは知ってるとであれば、親子の交流がものすごく大事なんだと、自分のこっちの親子の交流だけじゃなくて離婚した夫とこの交流、そして父親、母親とこの交流、これもすごい大事なんだ、ということを理解して理解する。
というのは、たった1回のガイダンスで、まともな日本人ほとんど教育きちんと受けてますからね。そしてそれが理解できるそうでしょで、そのことを1回のガイダンスで理解してもらって、それで離婚しましょう。
ただしその場合に我々が提唱しているのは共同関係化。どういうふうにこれもう一度言いますと、日本の離婚の8割は協議離婚ですから、協議離婚というのは例えばですね。典型的なケース。相手がもうあいつと婚姻生活続けたくない。もう嫌だ、嫌いになったと言い出したときに、片方はもう仕方ないなと思って離婚に応じる。これが協議離婚です。
共同監護計画は当たり前の制度
その場合に、じゃあ子に対する愛情はお互いに持っているとしましょう。大部分は持ってます。ごく例外は別です。持っている場合に子をどうやって看護していくか。典型的なケースは、母親とウィークで一緒に暮らす週末は父親と一緒に暮らす例えばですよ。これはでもそのすぐ多いと思う。
そういう共同監護計画を作って、かつ、その中には、将来この進学とか重要問題が起きたときにはどうやって決めるかという決め方も定めておく。そのことによって共同監護計画を提出して初めて離婚できるんだという。
これ、今までの制度からしたらとんでもなく、新しい制度だけれども、しかし、人間の本質、この幸せ、本当にこの幸せを考えるんだったら、当たり前の制度でしょ、その当たり前の制度を作りましょうよ、というのが我々の考え方で、法務省はそれには一顧だにしない。子の利益なんか1ミリも考えてない法務省ということなんです。
これまで通り、いやいや、結婚するときで一緒だよね。別れたいなら勝手に別れて、それはこの未成年の子供のない両親ならそれでいいでしょう。しかし、未成年の子がいるその親の離婚にあたって紙切れ一枚でいいんだという発想は、本当はとんでもない間違いなんです。
子の利益を1ミリも考えてない法務省と、子の利益を1ミリも考えてない皆さんの中の議員の方がこれでいいんだ、と、この法務省案でいいんだ、と皆さんの中でどんどんし続けてるんです。
「子の利益」法制度で実現を
これがとんでもない。間違いということは私ははっきり申し上げてるんで、櫻井先生も先ほどおっしゃいましたけれども、法律を作る過程、私はもちろん素人ですから、どれだけの苦労があって、どういうことがあるか存じ上げません。
しかし、この国家の基本となる家族の単位、この親子の絆をどうやって保っていくかという、この基本的な原則的な問題について、それぞれの議員の皆さんが自分の信念に基づいて立法活動をしていただきたいと、大きなお世話でしょうけど、私はただお願いする立場ですけども、それを強くお願いしておきたいというふうに思います。
言い方によっては大変場違いな、厳しい、何を言ってんだということはあったかもしれませんけど、しかし一弁護士が今まで実務をやってきて、こんな間違った制度はないよねと。ハーグ条約違反国家だと言われて、拉致容認国家だと言われて、その根本にあるのは親と子の交流がものすごく大事で、子の利益のためにそれを実現しなきゃいけない、法制度として実現しなきゃいけないという。
そのことを知らない国民、もしかしたら知らない国会議員の皆さん、その方々に実務をしてきた弁護士として実務をしてきた人間として、お願いしたいというふうに思っています。今も思っています。ご清聴ありがとうございました。
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