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忘れない光景、臭い、雰囲気

 気が付けば2020年も残り1ヶ月半になっていた。10月は半年ぶりに東京に戻って生活していたのだが、久しぶりの東京はとても刺激的な場所だった。半年ぶりの再会、半年ぶりのサークル、半年ぶりの満員電車、今までと全く同じような生活にはまだ戻れそうにないが、「日常」に戻った時の感動は計り知れない。まあ、今では「日常」が「非日常」で、「非日常」が「日常」になってしまったのだが、、、。「日常」とは一体何なのか。

 さてこれまではフィリピンで私が行った「平和活動」について書いてきたのだが、ここからは「貧困と教育」にテーマを変える。私は高校1年生の冬にフィリピンへ行った。初めての東南アジア、初めての途上国、初めてのスラム街、そこで私は多くの「初めて」を経験した。生まれてからずっと日本で暮らしてきた私は、それまで「貧困」について考えたことがなかった。今回のブログはフィリピンで見た「貧困」についての導入を書いていく。

 平和大使としてフィリピンを訪問した目的は、核兵器廃絶のための署名活動と貧しい子供たちに教育支援を行うことだった。フィリピン滞在2日目の夕方、私は人生で初めて「スラム街」というものに足を踏み入れた。その日は雨が降っていてあたりは暗く、足場が悪かった。街灯もないため日本から持参した小さな懐中電灯で足元を照らした。海外セレブが別荘を建てるような地域のすぐ隣の小道を進んだ先にそのスラム街はあり、まさに「日常」の中に潜む「非日常」の世界だった。さっきまで見ていた大きな家、整備された道路、綺麗な花壇は一体どこへ消えてしまったのだろう。

 ぬかるんだ道を裸足で走り回る子供たち、パスターを貼り合わせて屋根にしている家、汚れた犬、木の陰に隠れるようにして私たちを見ている物乞い。その光景は今でも忘れられない。20分ぐらいスラム街を進み、家を見学させてくれるという家族のもとに着いた。その家はスラム街の中では立派な方でコンクリートの壁でできた家だった。雨漏りはしていたが屋根もあった。小さなダイニングテーブルもあった。しかし電気が通っていないため主人は私たちをロウソクで照らしてくれた。また水道もないため、毎週片道2時間かけて大きなタンクを担いで水汲みにいくらしい。その話を聞いた後に出された歓迎のコーヒーは、人生の中で最も飲みにくい飲み物だった。


 人生初のスラム街訪問は1時間ほどで終了した。小道を戻るとそこにはまた私にとっての「日常」が広がっていた。その小道を逃げるようにして出た私は非常にホッとしていた。それと同時に何とも言葉に表すことのできない感情を抱えていた。家へ帰りその日の振り返りの時間、私の順番が回ってきて口を開こうとした瞬間、涙がどっと溢れ出た。どうにか涙を止めようとしたが一向に止まらない。さっきまで見ていた光景は何だったのか。暗闇から聞こえる人々の話し声、今にも壊れそうな家、お腹を空かせた子供たち。そして今私は電気の通った明るい部屋でみんなと話し、目の前には立派なマンゴーが置いてあり、振り返りが終わったらみんなで食べようとしている。気づけば発表のために書き留めていたメモは滲んで読むことができなかった。その日は何もすることができず、マンゴーも食べずに寝た。

 「日常」とは何なのか、「非日常」とは何なのか。今年は新型ウイルスの世界的拡大によって私たちは「日常」を奪われた。そして望んでいない「非日常」の中を生きていることを余儀無くされている。「スラム街」は私たちにとっては「非日常」であるが、彼らにとってはそれが「日常」なのだ。私たちと彼らの共通点は彼らも私たちと同じように望んでその日常に身を置いている訳でない点である。しかし決定的に違う点は、彼らはその「日常」を「非日常」に変えることができない。まだ時間はかかるかもしれないが、私たちはウイルスに打ち勝つワクチンが開発されれば、「非日常」を抜け出しこれまで通りの「日常」を取り戻すことができる。しかし彼らはその「(非)日常」から抜け出すことは難しい。世界には抜け出せる「非日常」があると同時に抜け出すことができない「非日常」がある。

 今回のブログでは「貧困」について自分の経験を今の生活と照らし合わしながら書いてみた。初めて訪問したスラム街で見た光景、嗅いだ臭い、感じた雰囲気、そしてそんな中に感じた人々の暖かさはこれからも忘れない。これで導入を書き終え、次回からはスラム街で行った活動やそこで感じたこと、そしてスラム街の人々との関わりの中で見えてきた新たな世界について書こうと思う。最後に、あなたにとっての「日常」とはどのようなものですか?「非日常」とはどのようなものでしょうか?最後まで読んでいただきありがとうございました。(2020/11/17)


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