”焦り”に対する防衛学

卑屈な文章を書いている私も、かつては充実した人生を謳歌していた。ところが20代も後半に差し掛かると、平日は仕事と生活に追われ、休日は何もやる気になれず、かつての知人は資格を取得したり、脱サラしたり、、、私はそれでも目先のこと以外やる気になれないが、焦りだけは雪のように私に着実に積もり始めるのだ。

一方で、私は現状の生活にこれといった不満はない。したがって革命も望まない。資格取得や脱サラを強要される立場でもない。ぬるま湯状態である。つまり、雪はいきなり積もらないから、何もやる気にならない休日は布団に入ったまま2〜3時間ほどスマホをポチポチすることなどよくある話。人は1mの積雪を見ればすぐに雪かきをしても、それが1cmならば何もしない

今思えば、焦りも雪と同様に、じわりじわりと積もり重なっていったのだろう。とうに飽きているスマホの画面を何かに取り憑かれたように見つめていると、ふと焦りが私を侵襲する。正体不明の焦り。なんとなく、人生のメリハリのなさからくる虚無感といったところか。

それが「人生がつまらないと感じ始める兆候」のように感じた私は、とりあえず外に出たり、温泉旅行に行ったり、時にはパチンコ店にいってみたりもしたが、いずれも喉元を過ぎれば忘れてしまう。正体不明の焦りから守ってくれるバリアではあったかもしれないが、目の前の焦りから逃れることができない。焦りを雪とするならば、暖かな部屋で丸くなっているだけに過ぎないのかもしれない。

一方で、本を読んだり、勉強をしたり、はたまた洋服を買ったり、といったいわゆる自己研鑽に励むと、なんだか少し成長したような気がして、爽快感が得られる。しかしやり始めるのが非常に億劫である。除雪と似ている。

ということは、面倒だなあ、嫌だなあと思っていることにあえて突っ込んでいくと、自らに積もった雪を振り払えるのかもしれない。なんかできすぎた話のようである。本能的には、暖かな部屋で丸くなっていたいのに、それをすると焦り積もり、体が重たくなってしまうのだ。

私の4大面倒事項は「早起き(朝活)」「掃除」「自炊」「運動」である。一番簡単そうな早起きには、とにかく早く眠ることがマストであるが、私はこれから面白くもないスマホの画面を見つめるという睡眠前のルーティーンをこなさなければならないので、まあ、無理だろう。

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