「世界を飛び回りたい」という漠然とした憧れ

私の職場は去年の春からテレワーク主体の働き方にシフトしており、出張も原則禁止で、会議はもっぱらZOOMやTEAMSといったアプリを使った遠隔方式となっている。

他方、SNSを覗いてみると、bio欄に「世界を飛び回る人になりたい!」と書いている人たちが大勢いらっしゃる。お〜、諸君、この時代に生を受けて幸運でしたな。それ、いまなら簡単に達成できるぞい。

無論、ZOOMで海外の人と話をすることが世界を飛び回ることにはならないだろう。きっと、「いやいや、やっぱり地域に土着して文化や環境を全身で味わってこその『世界を飛び回る』だからさ、いくらなんでも的外れだよ。Googleマップをポチポチしただけで海外旅行って言ってるのと同じぞ」と正されそうだ。

でも待ってほしい。世界を飛び回るのは、何をしたいからなのか。初めに何がしかの目的があって、その達成手段として、世界を飛び回ることになるのではなかろうか。

例えば、国際線のパイロットやCA、あるいは船乗りになれば、お客様や荷物を安全に目的地までお届けするために、世界を飛び回ることになるだろう。軍隊に入れば、もしかしたら治安維持や戦闘行為のために、世界を飛び回ることになるだろう。

いや言いたいことはわかる。第三者にあーだこーだ言われることなく、自分がそうしたいから世界を飛び回りたい。言い換えれば、世界中を旅したい。ということでしょう。叶うことなら、旅の様子をnoteに記して、いつのまにか記事がバズり、有料プランでも走らせて、エコサイクルを構築したい。わかるよ。私だって3日に1回くらいそんな妄想に耽るから。

しかし初めの議論に立ち返ってほしい。そんなことをしていたら、気づけば、エコサイクルを構築するために、世界を飛び回ることになりやしないだろうか。思うがままに人生選択をしたはずなのに、自らの首を絞めることになりやしないだろうか。

ーーー結局のところ、手段ではなく目的意識の方に自らをコミットしないと、蜃気楼を掴む前に体力を消耗させられるわけですが、インターネットがこれだけ普及したこの時代、それでもあなたは世界を飛び回りたいですか?

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