あなたのこと、信じてないよ

こんにちは。花巻です。

私は人と本音で話すことが苦手です。
それは、友達に対しても、家族に対しても、すごく好きな相手でも同じで、
いつも建前で話しています。

「腹を割って話そう」「本音でぶつかりあおう」なんて言う人達がいて、それが良いとされることもしばしばありますが、
本当にそうでしょうか?

私は、嘘をつくことが嫌いです。でも、それと同じくらいに本当のことを言うのが嫌いです。

意見や考え方なんて人と違うのが当たり前ですから、思ったことを素直に言ったら衝突します。
もちろん言い方にもよりますが、多くの人は自分と違う意見はどうにかして懐柔しようとしますし、それに反発する人が出てくるのも当然です。
本音で話し合う、というのはこういったぶつかるリスクを多く伴っています。

私はこうして人とぶつかることが1番嫌なのです。
たしかに、ぶつかることで良い結果を生むこともあるでしょう。
しかし、それ以上にぶつかることはエネルギーを使い場合によっては人を傷つけることもあります。

私は自分が我慢すれば丸く収まるなら、たとえ間違っていると思っても黙ってしまいます。
(これが法に触れることだったら話は別ですが。)

また、私が本音で話すのが苦手な理由がもうひとつあります。

人のことを信用してないからです。

私は常に人を疑っています。
大人も、子供も、友達も、家族も。
どんなに仲のいい親友ですら2割は疑いながら接しています。

1割は「相手が私を裏切るかもしれない」不安
と、あとの1割は「私が相手を裏切るかもしれない」恐怖です。

私は誰のことよりなによりも、自分自身を信用していません。
今の自分が思っていることは、未来の自分はそうじゃないかもしれない。
今までだってそうやって過去の自分と考え方を変えてきたのだから。

私は人に本音で話して、利用されたり、嫌われたりすることが怖いのです。
だから私はいつも自分の本心を隠して仮面を被るようにして接してきました。

でも最初に書いた通り嘘をつくのも嫌いなのです。
だから私はなるべく当たり障りのないことをいってその場を誤魔化します。
いわゆる建前で難を逃れます。

ただ、この建前は昨今では「めんどくさい」「くどい」と言われることが多く、あまり好まれるものではありません。
でも私は、そのめんどくささこそが優しさなのだと思います。
衝突を避ける、というだけではなく建前には相手のことを考える時間ができると思うのです。

建前で話す側はどう言ったら相手が傷つかないだろうか、気を悪くしないだろうか、と相手の気持ちを考えますし、
建前を告げられた側は相手の本心を探るように相手の気持ちに寄り添おうとします。

建前の文化はお互いの優しさの上に成り立つものなのだと私は思います。
本音でぶつかることが本当の友情だとか、そんなことを言われたことがありますが、
私は友達だから傷つけたくないし、人の気持ちを思いやれる優しい子と付き合っていきたいと思っています。
傲慢だと言われそうですが、それでも私はそういう生き方しかできません。

私は今までたくさんの失敗を重ねてきました。
だからこそ100%人を信用することなんてできないし、なによりも自分のことを信用できないのです。

本音で話すことが苦手な私は相談や愚痴すらもうまく話せないし、もしも自分と考えが違った時、嫌われてしまうんじゃないか、と心配になります。
それでも「嫌わないから本当のことを言って」と言ってくる人がいます。
でもそういう人に私は言いたい。
「あなたのことそんなに信じてないから。」
こんなことを言ったら一気に私は嫌われてしまうのでしょうね。

嫌われてでもぶつかるべき?
あなたはそう思うかもしれない。
でも私はそうは思いません。
私はできるだけ人に好かれて生きていきたい。
困った時に誰かが手を差し伸べてくれる環境にいたい。

だから私は絶対に本心を打ち明けません。

直接は絶対に言わないけど、
あなたのこと、信じてないよ。

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