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利他主義と合理的利己主義

今日は、私の思考の整理といきませふw

今興味があることと言えば、若者との認知のギャップw
多拠点生活のアドレスの会員さんと、「もう会社やってらんなくね?w」
みたいな話で大盛り上がりですw
何かといえば、「ハラスメント、ハラスメント」
これ、ハラスメント「ハラスメント」だよね。(略してハラハラw)
とまあ、おっさんのぼやきなんですが、ことの真相を究明したく
ちょうど若者とおっさんの中間世代にアドバイスを頂いた。
「今の若い人たちは、人生における苦痛とか苦労を無くすことに全力を注ぐ」的なことをおっしゃる。なるほど。
「頑張るな。脱力せよ」「人生を苦しむ意味はない」などなど
いろんなワードが飛び交う現代ですからね。
ただ、おっさんはそんなホットワードと自己実現がどうしても=になると思えない。
我々世代は、その上の世代の方々からのハラスメントを享受して、強固な肉体と精神を育んだ世代wとしては、納得しにくいのであります。
認知がちがうんだよね。

そうかそうか、でもその思想を理解しようとしたときにですね、
私は子どもになんていえばいいのか?とても考えてしまうのであります。
「頑張らなくていいんだよ」「自分のやりたいことで生きていきなさい」
これってとても乱暴な教え方のような気がしてならないのです。

あああ、フラストレーションがたまるwwww
でも、これでキレるとパワハラ認定ですw もう病んじゃいますwww

とまあ、ここでいったん思考をストップさせてみます。

はて、私は何が理想なのか?私の理想はどこなのか?
それをここで考えてみませふ。

今、私の中で非常に興味のあることを羅列してみました。

web3.0 DAO 地方創生 左官 土の建築
ものづくり コミュニティ作り 潜在意識
使命

といったところかな?
48年生きて来た軌跡をたどってみると意外と自分の頑張りよりも
奇跡的な出会いとか、繋がりのおかげで現在があるような気もします。
が、それも必死で生き抜いていこうとしたことがエンジンにもなっている気がします。

とっても利己的だった若いとき。人の気持ちを押しのけて
どうにかくらいついて生きようとした時代もありましたし、
社会から抑圧されてストレスを感じてもいました。

ただ、このどこまでも利己的でありたいと思うと
利他的思考にならないと利己の実現がままならないという
矛盾に陥るわけです。年を取るにつれて。

ということで、利己的でありたいのなら利他的であるべき。
というとても腹黒い結果になりましたw

ですが、それでいいのかもな。。。。
 
私の利己とあなた利己。
あれあれ?意外と利他どうしじゃない?

これが、物理的「地域」とか「コミュニティ」だと
形成しにくいけど、テクノロジーの発達で
物理的距離の概念がすっ飛ばされると実現可能なのかも?

また、一点に拠点を置いて暮らすことで
合理的利己主義(=利他主義)の実現の難しさを感じる反面
多拠点に自分の拠点を構えるとそれも分散できて
実現しやすかったりする気がします。
その地域、地域で自分の役割も変わるので楽しいと思う。

なので、ここが重要かつ、はき違えると危険だとおもうのですが、
利己を貫くならば利他を重んじる。
若い世代は利己の「己」自身がぐらつきがちなので
可能なら、利他の精神で生きた方がより
強固な利己になるのではないかな?

若いうちから強固な利己を持っているのは才能のある
一握りのような気がします(でも実際にいるのは確か)


利己を追求して利他を排除してしまうと
己との問答のみ完結することを目指すことになるような気がする。
もはや仙人を目指すのでしょう。

補完し合う社会が形成されつつあるということを
前提とするならば、自立と相互協力を
重んじて子どもに伝えるべきだなと思いました。
そんな社会になるだろうか?
ただ、私が不安になっていると
子どもも不安になりますね。

そんな未来を描くことがおっさんのお仕事なのではないかな?
そんな風に思いました。
勉強します🥰

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