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ばらばら

違和感を大切にする。
わたしがここ何年か自分のこころと向き合ったり、自分のこころに向き合おうとしようとする中でいまも常に大切にしなくちゃな。と思っていることのひとつです。

「こっち側だと思ってた」や
「へー意外だね」とよく知っていると思っているひとに言われたときに
若干傷ついたような気持ちになって自分のなかに違和感が残ることがある。

例えば最近の話でいうとわたしはいま自分が暮らすまちを好きになりたくて
ひとりでも通えるお店ができたらいいな。
と思い、最寄駅のとなりの駅の気になる居酒屋さんに一度行ってみることにしたのです。
そのお店はお昼間に前を通ったときに
ん??このお店なにか気になる。きっとおもしろいお店だ!
と自分の嗅覚と直感でピンと来て目をつけていたお店でした。
どんなお料理を扱っていてどんなお酒が飲めるのか。等若干の下調べをネットで行い、来たるべき自分のタイミングを待っていました。

わたしは定期的に今月やりたいことリストや、今週やりたいことリスト、今日やりたいことリストという「やりたいことリスト」をメモに書き出すということをしていて、2024年1月下旬に作成した1月中にやりたいことリストの中に
このお店に行ってみるということもやりたいことのひとつとして書き出していました。

そんな具合に自分のなかではやりたいこととしてしっかりと持ち上がっていたのでありますが、
最近会った友人に
「家の近くで飲みに行けるお店ができたんだ」と話をすると
「えー!めずらしい!」と言われて
自分のなかではめずらしくもなんともなくてしっかりとやる!と決めたこととして出来上がっていたことだったので
「え。めずらしいの?」となんだか違和感を感じてしまったのです。
その友人に対してひどいとかなんでそんなこというのなんてことは全く思わないのですが、なんとなくもやっと違和感が残ってしまったという出来事がありました。
わたしはその友人の言ったことに対してなにか反論をするわけでも同意するわけでもなかったけれどきっと「?」が浮かんだ顔をしていたに違いないと思います。

そんな出来事はおそらく日常茶飯事で、そんなこといちいち気にしていたら
毎日傷だらけで生きていくことになるわよ。と思ったりもするのであるけれど、
「わたしを決めるのはわたし」
でその決定に他者の同意は必要がないということをしっかりと忘れずにいたいものです。
そこでゆらぎが出るのがわたしの自信のなさや弱いところなのだな。
といま文字に起こしながらうんうん。と自覚をふかめつつあります。

冒頭に挙げた「こっち側」ということばはときに安心感もある。
ひとは属性で分けてどの属性に自分が属するかということで自分が世間から浮いてはいないと安心感を得る。あー。自分は間違っていない。変じゃないんだ。と。
もちろんわたしも属性を意識して安心することがたくさんあるのでそれがいいとか悪いとかいうことを言いたいわけではありません。

わたしは何年か前まで「オードリーのオールナイトニッポン」を欠かさずきいているリトルトゥースでした。
オードリーの若林さんは自身の結婚をラジオで発表をしたのですが、
結婚したことについて「若ちゃんはこっち側のひとだと思ってたのに」
みたいな話がある。というような内容の話をしていたことがありました。
かくいうわたしも結婚がしたいと思っているけれどできていないひととして存在をしていて、こころからおめでとう!という気持ちもありつつ若林さんのことを「結婚できないひと」と勝手に決めつけていたところがあったのかどこかすこし寂しい気持ちを持ってしまったことを覚えている。
そう。彼のことを「こっち側」のひとと自分の中で勝手に自分の属性に仕立て上げていたのでしょう。

そこで若林さんは「こっち側もなんもねーわ!」という内容の反論(?)をしていて
そのときのわたしは「こっち側」信者でもあったため、より寂しい気持ちにもなっていた気がします。
しかし、当たり前のことをいいますが。ひとはみんな違うのです。

何かの属性は同じ。でもこちらの属性は違う。そしてその解像度を上げていけば別のもの。

わたしはなにかものごとをよく考えたいときに、頭のなかに簡単な絵を思い浮かべてその考えているものごとをシンプルにみるクセをつけようと心がけています。
このひとはみんな違うということについて考えるとき、
わたしというひとをひとつのまる○と捉えて絵を描いてみるのです。
それを他のひとにも当てはめてみんなみんながまる○とする。

家族、友人、毎日仕事で会うひとたち、習い事が同じひと、電車に乗り合わせたひと等々。みんなどこかまる○が接触してはいるのですよね。
でもその○がしっかりみっちりぴたっとくるひとなんて世の中にひとりもいないということ。それがわかるといくら毎日会っていようともすごく気が合うーと思っているひとでも自分とは違うひとだということがよくわかるのではないかと思うのです。

世界にたったひとりのわたし。世界にたったひとりのわたしたち。
誰かのジャッジでわたしをわたしたちを決められないように。


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