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ゲーテが見つけた花

僕はひとり森の中へ入った
そう ただそこに行きたくて
何を探そうとも
あてもなしに
木陰に見つけた
小さないちりんの花
それはきらきらとして星のよう
まるで小さな瞳のよう
摘もうとした僕の手に
花はやさしく言った
どうして私を折るのです
すぐに枯れてしまうのに
僕は花を掘り取った
根っこをみんなつけたまま
きれいな家の庭の中へ持ち帰った
そしてもういちどその花を
静かな場所に植えた
今はすっかり大きくなって
花はずっと咲いている

「見つけた花」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

Ich ging im Walde
So für mich hin,
Und nichts zu suchen,
Das war mein Sinn.

Im Schatten sah ich
Ein Blümchen stehn,
Wie Sterne leuchtend,
Wie Äuglein schön.

Ich wollt es brechen,
Da sagt' es fein:
Soll ich zum Welken
Gebrochen sein?

Ich grub's mit allen
Den Würzlein aus.
Zum Garten trug ich's
Am hübschen Haus.

Und pflanzt es wieder
Am stillen Ort;
Nun zweigt es immer
Und blüht so fort.

「Gefunden」
Johann Wolfgang Goethe

この愛らしい詩は、手元にあるエーリッヒ・フロムの本の中で、見つけたものです。

このゲーテの詩から窺い知れるのは、ゲーテは「花を摘むことは、花の命を絶やすことを意味している」と、そのことに気づいているということ。

また感心したのは、この詩において、花は人間に「警告」する存在として扱われていたことです。それはゲーテが花を「知的好奇心の対象」としてではなく、人間と横並びにある「命あるもの」として捉えていることを意味し、またそのような花との関係性を、自然と関わるうえでの様式と、していたからでありましょう。

そのように考察すると、この詩の中の「僕」が、森で見つけた小さな花を「根っこを付けたまま」庭に持ち帰ったこと、その気持ちも、わかるような気がしてき、より愛着を抱きました。

自然の大いなる愛好者であり、その研究に余念がなかったゲーテ。そんなゲーテの概念は、ややもすれば、いまどきの頭には難すぎますし、伴う息苦しさを感じないではありません。

しかしそれでもゲーテのついた核心は、植物への本質的な受け止め方として、また先人の哲学として、そして私は花を扱う者として、彼が見つけた小さな花には、感じ入られる自分でいたい。そんなことを思いました。

「花を与えるのは自然であり、それを編んで花輪にするのが芸術である」。

ほんとにそうね。今日もいちりんあなたにどうぞ。

シロツメグサ 花言葉「私を思って」

まるで小さな瞳のよう

Text
フラワーギフト専門店 「Hanaimo」 店主
普段はお祝いやお悔やみに贈る花、ビジネスシーンで贈る花の全国発送をしている、花屋の店主です。「あなたの想いを花でかたちに」するのが仕事です。since2002
https://www.hanaimo.com/

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