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切り絵【はじめての節分】

何か絵を描きたいなと思ったとき、特に何も題材が浮かばなかった場合は、季節に関することや、直近の年中行事などを参考にすることがございます。

節分という行事に何か特別なことをした経験がない私にとっては、想像の中だけの話ですが、あの豆がもしとても美味しい物であるならば、年の数しか食べることができない豆を、子供たちは「もっと食べたい」と言うことがあったりするのでしょうか。

よく家ではお父さんが鬼の役をやって、豆をぶつけられるとか、大量にまかれた豆を最後にみんなで掃除するとか、豆まきを毎年ちゃんとやっているご家庭がどのくらいあるのか分かりませんが、子供たちにとって、楽しい行事だったりするのでしょうか。

絵を描くことで、私も人生で初めて節分行事を行ったような気分になれたような気が致します。

私の実家は家庭崩壊をしていると言っても良いほどに、独立した子供たちが皆寄り付かない居所となりました。
私と兄は独立し、今では高齢の両親と知的障害の妹が3人で住んでおりますが、母は「父に愛されていない」ことに心を病み、父は家庭から目を背け、外の人との交流を第一としており、妹は必死に母を支えようと母から片時も離れようとせず、自身も引きこもり状態に陥っています。

私たち兄弟が小さい頃からずっと精神的に不安定な母でしたが、今は精神科に通院をして薬も飲んでいて、治療が行われているだけあり、昔よりもずっと状態は良いと思います。
しかし、年を取るほどに体の不調も相まって、年々弱音を吐くようになってきています。
子育てをしているときは、父が自分に関心を持っていなくても、さほど気にならなかったみたいですが、最近になって、父との関係が完全に赤の他人のように冷え切ってしまっていることを自覚してから、本格的に「失恋した気分」を味わっているというような、65歳を過ぎているというのにピュアすぎる人だったりもします。

夫婦の在り方について、独身の私には分かりませんが、離婚などはせずとも、長年の水面下での冷え切った関係と、相手の言動に深く傷つき合い情緒不安定になりながらも離れられない様をずっと見せられてきた私は、今年36歳になりますが、結婚願望などは今のところございません。

素敵な人に出会い、いつかは子供が出来て幸せにという想像をしないわけではありませんが、実際の私は、結婚する相手を探せる自信が無いのです。
どんな人だって好きになってくれる人は存在すると思いますが、私はそんな相手の気持ちを信じることがなかなかできません。

自身の子供を授かるのは望み薄ではあっても、もしお金をたくさんもっていたら、親のいない子供たちを養子にしたいと思ったかもしれません。
若者と言える年齢では無くなってから、この先の人生、自分のことだけでは時間を持て余してしまうこともあると思いますので、社会貢献をしたり、年若い人たちの役に立てるような人間になりたいと、地域活動支援センターに通っている障害を持つ方たちを見ていて日々思います。

先日、知的障害を持った女性が「お金がほしいから、働きたいです」という希望を出されていて、作業所などへの通所をする予定だったらしいのですが、私語が多く、遅刻などもあり、要求されたお仕事に真面目に取り組めないという評価を受け、一旦地域活動支援センターでお仕事の訓練をしてから、作業所への通所を再度検討するということになったという話を聞きました。
その女性は地域活動支援センターに通うことに不満があり、「お給料がもらえないから来たくない」「いつになったら作業所に行けるの?」という気持ちを抱えながら「早く作業所に行きたい」といつも口に出しているのですが、知能的な問題で詳細な経緯をあまり理解できない部分もあり、本人にとっては苦労が多いように見えました。
身内ではないので分からないことも多いですが、この苦労がまさにハンディキャップだと感じました。
自分のよく分からない所でいろいろ決められて、納得できてないけど従うしかないことが当たり前になってしまっている障害を持った方は、意見することも、人生の抜け道を見つけることも、一旦すべてを投げ出すことも出来ない場合があって、それが健常の人とは違うように感じます。
だから専門知識を持っている人が支援する必要があるのだと思うと、そういう人たちを支援するお仕事をしている方々には、日夜頭が下がる思いでございます。

同じ地域活動支援センターに通っている知的障害の20歳くらいの女性は「何をやってもすぐに疲れてしまう」と仰っていました。
「自分は何をやってもうまくできない」そんな口癖のある方ですが、自分の障害のことをちゃんと理解できていて、軽度の知的障害の女性です。
最低限の自己肯定感が得られないのは、健常の人と自分を比べてしまったり、好きなことを頑張っても、思ったように上手くいかない、一見よく耳にする悩みのようにも思いますが、「自分はここまでしか出来ない」というレッテルを周囲からも、自分自身も貼ってしまっていたり、障害がそのレッテルのお墨付きみたいになってしまっていることにショックを受け続けている状態のようにも見えました。
そもそも自分が障害を持っていることを受け入れるということがとても難しいことなので、障害を持っている人たちの中でも、ヘルプマークをつけていない人が多いのは、誰だっておおっぴろげにはしたくないからなのだと思います。

障害者にならなければ、関わることのなかったであろう人たちが、地域活動支援センターや作業所にはたくさんいます。
大変な人はたくさんいて、世界中どこにでもいるということを、身近にいつも感じております。
私もまあまあ大変な人間に含まれるのかもしれませんが、人とろくに会話ができない私にも出来ることがあるとしたら、絵を描くことだけなので、そんな人たちに絵を届けてあげることが出来たらなぁと思ったり致します。
誰かのために、誰かをイメージして絵を描く、届けるという活動をいつかしてみたいと思っております。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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