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切り絵【次の家族へ】

たまに実家に帰ると、立体駐車場の一番上に、埃をかぶった父の車が変わらず置いてある様子が目に入ります。
昔は頻繁に洗車をしていて、いつもピカピカだった車体も、数十年経ち、今では誰も乗らなくなってしまったためか、車もどこか年を取ったようにも見えて参ります。

ついこの間「クルマ」について絵を描く機会がございました。
自分でも不思議なことだと感じておりますが、私は昔から乗り物が苦手だったことを、最近知りました。
数年前まで、普通に車や電車に乗って生活しておりましたが、バスや電車の中で、パニックを起こしたり、ふらつきやめまいが起きたりすることがよくあり、乗り物酔いなのか何なのか、よくわからず、それが当たり前くらいに思いながら、生きておりました。

「今日はパニックが起きなければいいな」と思いながら電車に乗る日々でしたが、毎日会社には行かなければならないし、乗り物に乗らない生活は実質出来なかったので、何とかするというよりも、あまり深く考えないように過ごしておりました。

体調が悪くなっても良いように、余裕を持ってかなり早い時間に出社することが当たり前になっていて、途中で電車を降りて休みながら少しずつ進めればいいやという感じでしたが、30歳を目前にパニックになる回数が今まで以上に増えて参りまして、初めて電車やバスに乗るのが怖いと、強い恐怖を感じるようになりました。

発達障害だと診断を受けてから、ようやく自分は乗り物に乗るのが苦手なのだと知りました。

現在の私は、電車やバス、タクシーなどの乗り物全般に乗ることができません。
あれほど当たり前のように乗っていた日々もあったからこそ、乗れなくなってからは、なんで乗れないのかなと、これからはもうどこへも行くことができないのだと、不安になったこともありましたが、実際は平気で乗れていると錯覚していただけで、昔から全然平気ではなかったのだろうと、今は思っております。

乗り物に乗ると、パニックやめまいなどと常に隣り合わせでしたので、お医者様から、乗らないで済むならそれに越したことはないと言われるようになってから、ここ数年は乗り物に乗らない生活となりました。

思い返せば、中学生くらいの頃から、もうすでに電車に乗ると具合が悪くなったりすることがあり、かなり前から兆候はあったというのに、私自身が無意識的に考えないようにしていて、時間をかけて悪化させてしまったというのもあると思います。

初めて乗る車内の匂いや座席の匂いだったり、車体の揺れ、進行方向が変わるときの気持ち悪さ、タイヤの回る音、あとは混雑具合など、考え始めるといくらでも耐えられない項目が出てくることに自分でも驚くのですが、こんな私でも乗れる車というのは、今後の未来で生まれることはあるのでしょうか。

乗れるようにならなきゃと、電車やバスに乗るリハビリを積極的に行っていた時期もありまして、練習すればある程度は慣れる部分もあり、乗れる日は乗れるけど、絶対に乗れるという風にはなれなくて、乗れない日は途中で降りたりする必要もあったりします。
ほんの少しバスに乗って買い物に行きたいと思うときでも、いざバスに乗ってみて、匂いや揺れによっては乗れないバスがあり、泣く泣く断念しなければならないときもあるのですが、ほとんどの買い物はネットで済ますことが出来る今の環境では、それでも大きな困り事にはならないというのも現状でございます。

時には、実際に店頭で商品を見に行きたいときもあるのですが、それが出来ずとも、ネットがあれば、一応手に入れることはできるので、それだけでも十分満足するべきなのかもしれません。

そんな乗り物に乗れない私が、クルマの絵を描くというのは、少し難題でもございました。
クルマが大好きで、乗りたいクルマや行きたい場所がたくさんある人であれば、素晴らしい絵が描けそうなのですが、私は今はもう、自分がクルマに乗るイメージが見えないので、子供の頃、父の車で旅行に行ったときの、家族の絵を描きました。

家族5人と祖父母の7人が乗れる車を買おうと、父が言い、私たちが小さい頃、大きなワゴン車が家にやって参りました。
深いグリーンの大きなワゴン車は、父の自慢の車で、後ろの座席がとても広く、兄や妹とバンバン飛び跳ねたりしてよく遊びました。
まだ私が小学校に入ったばかりくらいの頃でしたが、家族みんなで、買い物に行ったり、旅行へ行ったりしたことを、よく覚えております。
運転が上手だった父は、ほとんど車体を揺らさずに、緩やかにアクセルとブレーキを踏める人でございました。

幼い私が、父の運転を褒めると「それならバスの運転手にでもなればよかったなぁ」と、父は笑っていました。
安全運転の父なら本当にバスの運転手にだってなれると、私は思っていましたが、そんな父の運転だったから、私は子供の頃、車に乗れていたのかもしれません。

あれから、十数年が経過し、子供たちは独立し、父と母は高齢になりました。
あれだけ運転が上手だった父も、年を取ったせいか、不注意が増え、危ない瞬間もあるとのことで、免許を返納しようかと、考えているようでございます。
もう乗る人がいなくなった大きなワゴン車が、両親と同様に、ゆっくり年を取っているのを見ていると、私が苦痛なく乗れていた唯一の乗り物だったことも灌漑深く、とても懐かしく感じました。

古くなった車は、売りに出す以外にも、パーツを引き取って、新しい車の部品に再利用されることもあるそうでございます。
私たちの車も、いつかはそうなると思うのですが、どちらにしても、また新しい車に生まれ変わって、次の家族にも楽しい思い出を作れる車になってほしいと願っております。

私の中でクルマと言えば、子供の頃一緒に旅行して、家族と共に過ごしたあのワゴン車しか、浮かびませんでした。
欲を言えば、もう一度子供の頃に戻って、父の運転で旅行に行けたら、将来乗り物に乗れなくなることを踏まえると、かけがえのない経験になったことと思います。

いざというとき、乗り物に乗れないと困ることは多いと思うのですが、今のところは、自宅周辺の歩いて行ける範囲内の活動でそこまで不自由はしておりません。

行きたいお店、通いたい学校、旅行などにも、行ってみたいと思うこともありますが、無いものねだりはせず、昔あったものが無くなってしまうとか、出来ていたことが、だんだん出来なくなってくるというのも、自然なことのように思います。
今あるもので楽しみ、満足をすることが、結果的には幸せなのだろうと、今は思います。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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