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コロナに感染した女の話

自宅療養の10日間を経て、明日から無事外出OKとなる。
長かった。ただ、「よっしゃ嬉しい!!!外出るぞぉぉぉぉお!」という気持ちにならないのは、ごく自然なことで。
外出がとてつもなく恐ろしいものへと変わりましたから。。。

今回コロナに感染して、当たり前だが、初めてなってみて分かったことが沢山あったので、皆さんに共有したいと想い記そうと思った次第です。
まず初めに言いたいことは、毎日メディアが狂ったように、とても事務的に報じる毎日の感染者数なんて、無意味で不必要でとても無力だということ。
その数字をみて怯える段階は、もうとっくのとうに過ぎていて、なんの力も持たない。
どれほどこのコロナというものが、人間をどん底に落としめるかという恐怖を、もっと報じるべきです。
私は、みんなに辛い想いをして欲しくないために共有します。

・1/12(火) 父コロナ感染
・1/13(水) 濃厚接触者となり自宅待機
・1/14(木) 他同居家族とPCR検査受診
・1/15(金) 自身も発症、夜に「陽性」発覚
・1/16(土) 熱、頭痛、鼻水、疲労痛
・1/17(日) 症状が続くが段々と良くなる
・1/18(月) 鼻水、疲労痛は残るものの体調は良く在宅ワーク
・1/20(水) 味覚嗅覚がなくなる


・1/24(日) 10日間が終了、医療機関からの自宅療養終了の連絡

1/12(火)

仕事を終えてラインを開いたら、家族ラインにて、父がコロナに感染したことを知り、頭が真っ白になったのと同時に体の血の気が引いて、貧血になった時の記念写真も持っている。笑

色んなんことが頭の中を駆け巡り、とてつもなくテンパったことを今でもすごく記憶している。なんせテンパりすぎて、気持ちが悪くなり、帰りの電車を途中下車し、座る場所を探したけどなく、ひたすら水を飲んでいた。笑
でも、同時に社会人6年先輩の姉の的確な指示に、とても救われたこともすごく覚えている。
「今あなたができることは、会社に濃厚接触者になってしまったことを、素直に報告すること。それで、指示を待つ。それだけ。」
と言われ、報告し、次の日から在宅ワークとなった。

1/13(水)

うちの場合、初めに症状が出て感染が分かったのが、父であった。
父が言うに、症状としては「ちょっと変な感じ」で、普通ならこのまま仕事に行っていた気がする、と話していた。
コロナが流行っていた、高熱が出ていた、という条件から、病院で受診という形になったがために感染が発覚したわけで、状況が違えば感染は未発覚なまま、市中感染を生む感染源になっていた可能性もあったということだ。
そんなことを知ってしまえば、そりゃコロナも減らんよなと謎の納得。

同居する父が感染し、父はもちろん、他の者も同様に各自の部屋に隔離。
外には当たり前に出れない。風を感じられない、皮膚が日光を浴びれない、何か悪いことをして閉じ込められているような感覚。でも窓を開けると、鳥が泣いていたり、子供の話声や笑い声が当たり前のように聞こえて。
壁一枚向こうには、昨日まで自分も存在した「普通の生活」が流れていて、こんなにも生きる世界線を変えてしまうのかと、それまで想像していたコロナの恐怖を遥かに超えた恐怖心を覚えた。

1/14(木)

在宅ワークを午前で終了し、ドライブスルー式PCR検査を受けに。
これもなって初めて知ったが、濃厚接触者になったからといって、すぐにPCR検査を受けられるわけではない。順番待ちのためいつ受けられるか分からない不安な時間を過ごさなければいけない。でもそれほど医療機関、保健所が逼迫している状況ということだ。

ドライブスルー式PCR検査は、事前の予約の時点で誰が受けるのかを伝え、誰がどこに座るのかも決まっている。なるべく接触する時間を減らすためだと思う。
決められた時間に決まった場所に行き、車のダッシュボードに私たちを示す番号の紙を置き、それを確認後通される。

指示は全て紙芝居のようなフリップ形式で進められ、鼻から粘膜を摂取する時以外は、絶対に窓は開けてはならない。開けていいのも、約15cm30秒間。
ずっとテレビの画面だけで見ていた防御服の人を見て、あらためて今起きているこの状況が夢ではなく現実であることを実感した。
結果はすぐに出ないので、その日には分からぬまま。
ちなみに父はこの日から、1人ホテル隔離となった。

寝る前、なんだか寒かった。寒気がしていた。
布団に入って、明らかに寒いのに自分の体から熱を放出しているのが分かった。
案の定暑すぎて、夜中に目を覚ました。パジャマがびしょびしょだったが、何か信じたくなくて(コロナに感染したであろうことに)、水道の水を飲んで気持ち程度に体を冷やしてそのまま布団に入った。

1/15(金)

元気になっていて欲しいという希望と、半分諦めの気持ちで目覚めたが、体がだるいことがすぐに分かった。そして気持ち悪い。
一旦自分でパンとコーヒーを準備したが、全く食べれない、、、コーヒーなんてさらに気持ち悪くなるだけだった。
でも、体が弱っている時のお決まりご飯が、そう、餅。
なぜか餅だけはどんな時でも食べれる。笑
そしてある程度元気になるのも経験上わかっている。笑
頭痛はあるものの、あまり動かなければ平気だったので、そのまま在宅ワーク。

とっくのとうに業務を終了しているはずの保健所から、22時前にPCR検査の結果の連絡があった。私と母が「陽性」
私はすでに発症していたため、「だよな」と落胆。
母は無症状であったが故に、かなり落胆。まさか自分がなっているとは思っていなかったんだろうな、、、
うちは祖父も同居していたため、ホテル隔離は避け自宅療養を選んだ。

この日から本格的24時間隔離生活がスタート。

1/16(土)

唯一陰性で動ける姉が、私と母の食事やらなんやら全てをやってくれていた。
この人の存在が無ければ、おそらくうち家族は終わっていた、、、

私の症状としては、37度まではいかない熱と、脳みそが腐ってるような頭痛、全身の痛み、止まらない鼻水、が続いていた。
私の場合は熱がそんなに高くなかったため、軽度な方だと思うが、体の痛みが結構しんどかった。
寝すぎだろ、とか言われていたけど、本当に運動なんて全くしていないのに全身筋肉痛みたいな感じ。特に背筋が痛くて寝っ転がっているのが楽だった。

ネットで「コロナ 症状 筋肉痛」と調べては、泣きそうになりながら布団に潜るを繰り返していた。笑
なぜなら、後遺症で半年寝たきりという人を見つけてしまったから、、、
薬もない得体の知れないものの恐怖は凄まじかった。

1/17(日)

24時間隔離生活が始まってからは、ご飯時のテレビ電話でどれだけ元気付けられていたことか。
各部屋でご飯を食べるため、ご飯の時だけみんなでテレビ電話を繋ぎながら、いつも通り話をして、食事をしていた。2週間続けた今では、これもニューノーマルな生活に良いかもしれない、なんて考えたりしている。笑
人間は本当に適応能力がすごいなあと思う。というか、こんな状況になりながらも、ちゃんと新しい方法を探す適応脳力があるうちは、まだ大丈夫だなと安心した。

症状はもうこの時点では熱も下がり、落ち着いていた。
ただ、体の痛みと鼻水は続く。

1/18(月)

鼻水と体の痛みは続くものの、他は全く問題なく元気だったので、在宅ワーク開始。
ここからは、順調に残りの時間を安静に何もなくすぎることだけをみんなで祈っていた。

1/20(水)

どの瞬間に気づいたか記憶にはないが、この日から味覚嗅覚がなくなった。

人生で経験したことがある人がいたら教えて欲しい。2度目の再来は落ち着いて迎えられたか、また来たか、という感じか。
恐らくほとんどの人が初めてのことだと思う。
これがどれだけ精神的に悲しく辛いことかは、本当の意味でなってみないと分からない恐怖だと思う。
人間の5感あるうちの2感がない生活ということだ。

私は、夜の空気の匂いが好きだ。
それも窓を開けて確かめたけど、しなかった。それが昼でも早朝でも、ご飯時でも目を瞑ってしまえば、全く同じで、違いなんて分からなかった。

大好きなお香も、鼻のすぐそばに持っていっても分からない。何もしない。
リラックスなんてもともこうもない。

久々に飲みたくなったカフェオレを姉に用意してもらったが、「これは、ロイヤルミルクティー??」と言っていた。笑

匂いは本当に全く一ミリも感じないのだけど、味は甘いとか苦いとか、酸っぱいとか、色で表現すると単色は認識できるのに、風味が全く分からない、しないのだ。
どんなに頑張って鼻から息を吸って風味を感じようとするも、何も感じない。
これが、とても不思議で気持ちが悪い。視覚と食感で想像して食べるしかないのだ。
でもごく稀だが、味わってる中で、遠くの方で「ヤッホーーーー!」とジャンプして味を教えてくれる時がある。笑
すかさずそれを逃さぬまいと、鼻で大きく息を吸うが、もういない。。

1/24(日)

そんな後遺症に悩まされる生活は今も続いている。
これがいつまで続くのかという不安は残ったままだが、熱もぶり返さず10日間経過したため、明日から普通の生活に戻れる。

余談
私は在宅ワークという形で融通を効かしてもらったが、結局私が在宅からはできない業務は先輩や同期にやってもらわなければならず、申し訳ない気持ちで地面に溶けそうな毎日だった。でも、上司も先輩も同期も本当にいい人で、父を心配してくれてもいた泣

保健所からは大量のトイレットペーパーや食料(野菜ジュース、ご飯、菓子パン、味噌汁)が大きな段ボールで2箱、毎日2食の冷凍お弁当が届いたり、親戚からは大量の野菜が届いた泣                                    
本当に沢山の人に迷惑をかけて、沢山の人に感謝をした期間だった。


どこから拾って来たか分からない。
今後新型にまた感染するかもしれない。
その時はもっと重症になるかもしれない。
はたまた無症状のままどこかに運んでしまうかもしれない。
大事な人に運んで、発症してしまうかもしれない。

想像すればわかることは、自分で想像しよう。
想像力は、意外にも自分を、周りの人を守るために大事なことだと思う。

私の大切な人たちには、絶対なってほしくない!!
さらば!コロナ!永遠に顔見せんなよ!!!

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