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小説家が友人に感想を聞く時にしてはいけないこと

前置き

先日、友人に僕の書いた小説を読んでもらったのだが、そこで双方ともに非常に不快な思いをした。その友人と僕とはかなり長い付き合いで、小説を読んでもらうことも何度かあったので、僕自身少し「なあなあ」になっていたのだが、これは物書きが友人に感想を聞くときに常に起こり得る問題であったのと、ある程度は聞き方や、話し方で解決できる部分もあるので、先日、起こったことを振り返りながら書いていきたい。

①まず目的は作品をより良くすることであって、正しい読み方を強要するものではないことを告げておく。


先日の会話
僕「どうだった?」
友人「最初、思い込みの激しい悲観的な女に振り回されて苦痛やった」
僕「いや、彼女の考えは実際正しくて……」
友人「それをこの場で俺に言って何の意味があるん?」

これではケンカだ。

 彼は僕がただ世界観を説明することで、その場で”彼の読解力や解釈を否定される”と感じたようだった。会話の始まりが「いや、」から入ったのもよくなかった。
 僕が悪かったのは、まず最初に正しい読みを強要するものではなく、作品をより面白く、分かりやすく伝わるよう変えていくよう一緒に話しあってほしいことをしっかりお願いするべきだった。
 それをきちんと説明したうえで

正しくは
僕「どうやった?」
友人「最初、思い込みの激しい悲観的な女に振り回されて苦痛やった」
僕「なるほど。彼女は単に思い込みが激しい女ではなく、事実かなり追い詰められた状況にあるんだけど、”それを読み取れる文章になってたかな?”
友人「いや、セリフで彼女の口から説明されただけだったから、彼女の主観の域を出ていなかった」
僕「なるほど、確かに彼女が置かれている状況を彼女の口から語られるために、客観性が持てなかったんだね。それが地の文で説明されていたら印象も変わったかな?

こう聞けばよかったと思う。


②矛盾を追及するのではなく、差を知りたいことを告げる。


友人「そもそも話が暗くて読むのが苦痛やった」
僕「でも、最近メイドインアビスにハマってるって言ってなかった?」
友人「いや、俺が面白くないと思ったのは変えられないから!!!」

これもやはりケンカだ。断っておくが、その友人は常にこんな調子ではない。そのときは、面白くないと感じた小説について、僕と話しあうことにあまり乗り気でなかった。彼はかなり忙しい日々の合間を縫って読んでくれたので、その生活への圧迫感もあったという。

 ここでも、僕はメイドインアビスは暗いシーンもあるアニメなので、暗い作品でありながら、面白いと感じるものとそうでないものの違いはどこにあったのかを知りたかったのだが、彼は、暗い作品にハマってると指摘されたことによって、まるでダブルスタンダードを指摘されたと感じた様だった。

 僕は矛盾を追及しているのではなく、差を知りたいのだと告げるべきだった。

正しくは
友人「そもそも話が暗くて読むのが苦痛やった」
僕「最近メイドインアビスにハマってるって言ってたけど、暗い作品でも面白いと感じるのと、苦痛と感じるのにはどのあたりに差があったんだろう?
友人「メイドインアビスは序盤はそんなに暗くはないし、アビスに降りていくのは、もう戻ってこれないという覚悟と同時に母親に会えるという希望もある」
僕「なるほど、希望は大事だね」


③ちょっとしたバランスで面白くなることを告げておく

 僕「いやー、僕は序盤が特に面白いと思ったんだけどな」
友人「作者が面白いと思って書くのは面白くないんじゃないん?」
僕「いや、それは違う。自分の頭の中で物語が出来過ぎてて、面白く書けないのは技術の問題であって、俺が面白いと思ってるから面白くないわけじゃない。それがあるとするならば、僕自身の感想がかなり上の方にあるので、全体として、他の人の感想がそれを下回る確率が高くなるということは起こりうる」
友人「いや、俺がどう思ったかと、全体とか確率は関係なくない?」

 これは物語には好き嫌いがあるという当たり前の話ではなく、ちょっとしたバランスでどう感じるかがかなり変わるために、そのバランスを崩している要素がどこかにあるかという方向で話を持って行くべきだった。

 正しくは
僕「いやー、ちょっと変えるだけで、もっと面白いと感じてもらえる話になりそうなんなけどな」
友人「うーん、女の子が重いうえに自分勝手に映ったんよな」
僕「確かに、自分勝手に見えるところは少し書き方や、設定を変えて解消できるかも」

こういう風に聞けばよかったと思う。

 ただ一つだけどうしても許せないことは、彼が「作者が面白いと思って書くのは面白くないんじゃないん?」と、まるで僕のセンスを全否定するようなことを言ったことだ。
 確かに、作者が面白いはずだと思い込み過ぎて、演出や、読んだ人がどう感じるかを置き去りにしてしまうことはある。しかし、それはあくまでも技術の問題であり、面白さを上手に伝えられる場合もある。
 こうやって誰かに感想を聞くことで少しずつ改善されていくものでもある。
 彼は僕が面白いはずだと思った作品が読んでも面白くなかったという食い違いをテキトーに解決するために、まるで僕が面白いと思ったこと自体に問題の根本的な原因があるかのように言った。
 それは僕の自尊心を激しく傷つけ、物書きにとってもっともデリケートな部分をズタズタにした。

 まあ、僕がかなり誤解を招く言い方をしていたこともあって、友人はこの会話にかなりうんざりしていたのは確かなのだが。



最後に

 三つほど例を出して振り返ってみたが、これらは例として部分的に切り取て編集したもので、最初からこんな風に会話がスタートしたわけではない。
 互いに和気あいあいと話していたところから、少しずつ険悪な雰囲気になり、最後にはこのような言い合いになっていた。

 恐らくこれらは最初の段階で、これは討論をするのではなく、問題の原因を一緒に見つけてほしい

ということをよく告げておくべきだった。そして、これに関してはいつも友人が長編を読み切って感想をくれるのが当たり前だと感じていた僕が悪い。

 友人は些細なことでも面白がれる人間なので、小説の感想を言い合うとか、暗い作品でも面白いところは楽しめると思っていたのだが、思えば彼には十作以上小説を読んでもらってるわけで、もはや面白がれる回数ではなくなっていたし、数年前と今では彼の置かれている状況も変化していた。

 それらのことを話しあったうえで、僕たちは小説を読んで感想を言い合うのが負担にならないよう、様々な部分で改善するという結論で話を終えた。

 僕としては、もっとも信頼する読み手の一人を失ったと感じていて、恐らく彼にまた「作品を読んで感想をほしい」というのにはかなり時間がかかるだろう。
 これは今、僕が目指している賞がそもそも彼の好きなジャンルではないというところもあるし、僕自身彼に作品を読ませるのに気おくれしてしまっている。

 彼だけでなく、今まで小説を読んでくれるようお願いしていた人が、社会人になったり、あまり連絡を取らなくなったりして、年々、読んでもらうことができなくなっている。

 小説を書くという行為は、とても個人的な行為だ。
 僕にとっては小説を書いているということは、「自分である」ということでもあり、「コンプレックス」でもあり、「まだ死なない」ということでもある。
 それは精神疾患を持つ一部の人が、その精神病にひどく苦しみながら、治りたくないと考える心理にとても近いものだと思っている。

 僕はこれからも多くの信頼できる読者を失っていくはずで、その中には死別もあるだろうし、恋人の場合は男女の縁が切れることで終わりを迎えることもあるだろう。

 たとえ、どんな理由であれ、僕はそれを受け入れなくてはいけないし、小説を読んで感想をくれるという菩薩のような心を持った人に感謝しなくてはいけない。
 そして、僕が小説を書いているということに関して、あらゆる面で理解を得られなくても、僕はそれを受け入れなくてはいけない。

 小説を書くという行為はとても個人的な行為だからだ。

 

 

 

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