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2024年6月30日の日記

カフェのカウンターが揺れて、ヨーロッパに飛ぶ。いつでも軽く見積もっても合計13時間以上に及ぶフライトのせいだろうか、揺れる感覚はヨーロッパと結びついている。あるいは15年前のピレウス発のフェリー、あるいは去年のストックホルムの船のホステル。でも揺れているのはブラインドでカウンターが揺れたと思ったのは脳の錯覚だった。

体があまり動かせないときはフィジカルでなくてメンタルな行為をする。心が弱っているときはメンタルにアプローチせずフィジカルな行為をする。じゃあ心身ともに動かせず八方塞がりの場合は?そんなのは幻想だと思う。精神の病やいきどおりに覆われた奥の奥にはきらきら光る何かが必ず存在する。それを無視し続ける人はそういうドラマを体験したいのだ。

悲劇には依存性がある。わかりやすく生きている実感がある。わかりやすいものだけを有り難がるのは馬鹿のすることだ。世間に蔓延るインスタント・ポップ・トラジディ、いちばんuncoolなのはdrama queen, 悲劇のヒロイン/ヒーローとその鑑賞者である。馬鹿はきらいよ。

安野モヨコはエヴァンゲリオンの原作者庵野秀明の細君で、姓が一緒なのは偶然で、モヨコが秀明との生活を描いた漫画『監督不行届』の秀明によるあとがきは最高に愛に溢れていていつ読んでも泣いてしまう。NHKのドキュメンタリーのプロフェッショナル『庵野秀明スペシャル』のモヨコの秀明に関するコメント場面を見ても泣いてしまう。

デビュー以来、その圧倒的なセンス、画力と言葉で漫画界の第一線を走り続けていたモヨコだけれど、体調を崩して描けなくなった。鬱病だった。秀明は自らが作り出したものの人気が爆発的に巨大化し、反動で多くのアンチを生んだ。彼らはネット上の掲示板でどうやって秀明を殺すか相談していた。モヨコは秀明に、世間がどうあっても私だけは貴方の味方だから、と伝えた。

編集者の佐渡島庸平は天才安野モヨコにここで筆を折らせるわけにはいかなかった。佐渡島は4年間に渡って二日に一回、鎌倉のアンノ宅を訪れた。打ち合わせではなかった。ただモヨコに会いにいったという。やがて少しずつモヨコは描けるようになった。でも以前のような生き馬の目を抜くような速度では書けないし、そうする必要もなかった。約5年間かけて描いた8年ぶりの新作にして本格的な復帰第一作が『鼻下長紳士回顧録』上下巻だ。

月刊誌『フィールヤング』に連載していたときも可能な限り読んではいたけれど、上下巻で一気に読むとやっぱり圧倒される。モヨコの才能は全く変わらない。いや、むしろさらに凄みを増している。一見救いようがないようなどうしようもないキャラクターを含めて、全ての登場人物を温かく包み込むような慈愛の視点を感じるようになった。

『鼻下長紳士回顧録』の舞台は20世紀初頭のパリの娼館。モヨコがセックス・ワーカーを描くのはこれが3作目で、彼女にとってこれがとても気になる題材なのだと想像する。私たちの人生の多くの愛憎を生み、悩ませてきた資本主義、先日安楽死を選択したジャン・リュック・ゴダールは「あらゆる仕事は売春である」と言い、そのフレーズに『pink』のあとがきで「愛」をつけ加えたのが一時期モヨコがアシスタントをしていた漫画家岡崎京子。セックス・ワークは労働と愛の問題が一気に集約している場所だからなのかもしれない。

物語の終盤、娼婦で作家志望のコレットが元作家のサカエから聞く言葉。

「そして…僕には本当に才能が…無いことが…
 いや 無かったことがわかったんだ」

「それは…どうしてなの?」

「才能とは…何か特別なことではなく
 ただ…ひたすら継続して書いていくことだと」

「自分を掘り下げ続けても絶望しない能力だと気付いたのだ」

「たとえそこに何もなかったとしても」

私は最初にこれを読んだときに不思議に思った。だってモヨコには才能があるから、自分を掘り下げたら、そこには必ず才能があるのだから、そこには何もなく、ないのだ。でも、今ならわかる。「たとえそこに何もなかったとしても」と表現される、そこにないものとは。

才能ではなくて、意味自体のなさなのだ。才能のない人間はいない。必ず誰しも何らかの適正がある。いや、何もない、自分はとことん不器用だ、という人がいたら、彼には「とことん不器用」という才能がある。世界には不器用な表現を好む読者もいるものだ。

創作や表現を続けるうちに問題として浮かび上がってくるのは、確かに自分にはこの方向の適性があるのかもしれない、でも「何のために続けるのか?」という存在の根本的な問いである。そして物事にはかばかしい意味はないのだから、この問いに捉われた者は少なからず病んでいく。

それでも絶望せず続けられる者を、いや、たとえ絶望しても続けられる者を、(そしてかつて絶望しても続けていた者を)、才能がある者、と人は呼ぶのではないだろうか。

もちろん創作や表現というのは、絵を描いたり、曲を書いたり、文章を書いたりすることだけを指すのではない。経営者も、オフィスワーカーも、料理人も、医者も、弁護士も、無職も、学生も、誰もが自分の人生の唯一の創作者であり表現者である。

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【💫主な出演予定💫】

◆7/2(火)関内Venus
裕美ママBirth Day Eve
コーラスグループVenus Sistersとして出演

◆8/6(火)関内Ben Tenuto
Blossom Dearie特集
ユニットThe Lost Sweetsとして出演
ジャズライブとDJ, 解説、プログラム付き

◆8/16(金)サロンdeおむすび横浜
初出演!関内駅北口が最寄り
トライベッカがあったところです

◆8/22(木)関内Venus
超絶めずらしく日本語の曲特集予定
松本隆さんの作詞は素晴らしいですね

◆9/6(金)名古屋Swing
久しぶりに大好きな名古屋へ遠征です
鈴木靖子(Vo) 浅川太平(Pf)

◆9/14(土)代々木NARU 初出演!
老舗ジャズクラブへ初出演、応援よろしくお願いします!

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