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『精神0』

想田和弘監督作、『精神0』のワールドプレミアを見に行ってきた。

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ニューヨーク近代美術館、MoMAのDoc Fortnight 2020に正式招待され、2月14日のバレンタインデイにMoMA内のシアターで上映。あらすじはこちら。週間NY生活からお借りしました。(https://www.nyseikatsu.com/entertainment/01/2020/27932/)

「精神0」の主人公は、2008年に発表した「精神」(観察映画第2弾)の主人公でもある精神科医の山本昌知医師夫妻。
 1960年代、精神科病院の鍵を外す運動の先頭に立った、山本昌知医師。精神科診療所「こらーる岡山」を拠点に、患者本位の医療を実践する「赤ひげ先生」の姿は、映画「精神」で描かれた。その山本も、82歳。ついに医療の現場から引退することになった。長年山本を命綱のように頼りにしてきた患者たちに、動揺が広がる。一方、山本の仕事を陰で支えてきた妻の芳子は、重い認知症を患い介護を必要としていた。まだ肌寒さが残る春、二人の新たな生活が始まる。

ここからはネタバレは避けます。


開始5分で、涙が溢れた映画は初めてだった。

別に、泣かされてるわけじゃない。ドラマチックな展開なわけでもない。

目の前に映る、生きようとしている命に、まっすぐな瞳に、そこに宿る力強い意志に、私の心は震えた。

静かで、厳かで、重くて、痛くて。でもそれ以上に、美しくて、尊くて。


私は、若者と言われる年代としてこの映画を見て感じたことが沢山あった。この作品は、愛や別れがテーマなので、私が書くことは想田監督が意図しないところにあるかもしれないが、書き残しておきたいと想う。


私たち若者は、とっても恵まれている。数十年前にはなかったものが沢山ある。知らなかった世界を知ることができる。どこでも誰とでも繋がることができる。自由に表現することができる。

でもその分、生きる恐怖も増えた。

成果とか、年収とか、ポジションとか、求められるものも大きくなった。若く成功することが評価されるようになった。資格など名前がつくものに価値がつくようになった。いろんなことをすることが素晴らしいとされ、忙しいことが正しいことと判断されるようになった。

「こうあるべき」は少なくなったけど、「こうしたほうがいい」は多くなったかもしれない。

本質を大事にする時代に見えて、何層もいろんなものが重なった下に存在する本質に、気づける人は少なくなった。

だから、本質を追おうとすると、とっても怖い。

社会から切り離されるんじゃないかとか、生きていけなくなるんじゃないかとか、諦めて健全な道を行くほうがいいんじゃないかとか。それでも一度自分の心に燃えた炎はなかなか消えない。


みんな当たり前のように生きてるけど、生きるのって、本当は難しいよね。

競争心を持って上に行くことを求められる時代に、本当の温もりを感じる場所を見つけるのは大変だよね。

いろんな情報が溢れる時代に、耳を塞ぐのは簡単じゃないよね。

選択肢が沢山あるからこそ、自分の声がどれかわからなくなるよね。


生きるために、一番頑張ってるのは、その人生を生きている自分だよね。


普段忘れようとしている生きる上での恐怖や弱さ。でも、その中で生きているという事実だけでも素晴らしい、と、今ここにいることを認められた気がした。

派手じゃなくても、完璧じゃなくてもいい。自分の美しいものを、美しいと思い続けること。想田監督の映像からはそんな勇気をもらえた。

ニューヨークというこの大きな街でワールドプレミアがあったことも、なんだか偶然じゃないような気がする。


想田監督の凄まじく研ぎ澄まされた感性が素晴らしく光る映像たち。何気ない日常や風景の中の美しさは、臨場感を与えてくれた。

生死に関わる別れを目の前にしている山本先生や患者さんのそばにい続けることは、そう簡単でないと思う。なんとも言えない重みや痛みがあったっと思う。その重厚感を欠かすことなく私たちに届けてくれた。この作品に出てくる人たちだけでなく、想田監督の魂も、その映像から感じた。


本当に美しい映画だった。

他にも沢山感じたことはあるのだけれど、ネタバレを含みそうなものが多いので、これぐらいにしようと思う。










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