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夢を追いかけるための覚悟はたしかにあった

舞台役者になると決めたのは17歳。
理由は楽しそうだったし、まわりにやってるやつがいなかったから。

高知から東京に出て、一旗上げて凱旋する夢をみて高校卒業とともに上京した。
売れるために自分は何をしたらいいのか、全く意識していなかった。
だけど、売れるまで、飯を食っていけるまで、地元には帰らないと決めていた。
なぜか。
親の死に目に立ち会わなかったから。
今日は、少し本音を書いていきます。
やっと言える気持ちになったから。

18歳の夏、父親が亡くなった

大腸ガンでした。66歳。
7月から入院していて、余命3ヶ月。
当時のぼくは全く意味が分かってなかった。
親を失うかもしれないことが、全く想像できてなかった。
いつも通り、家のコンビニでバイトして、学校にいって、病院に交代で泊まりにいってを繰り返していた。
18歳の夏休み後半、ぼくは東京に行くことが決まっていた。上京してお世話になる劇団の公演を手伝いに行く。自分の夢や将来のために、あと東京に憧れていた部分も強かった。

親の死<自分の夢

うん。高校生だったら普通なのか?
正確には、親の死を受け入れなくないから、目の前のことしか出来なかったなのかな?
とにかく、父親が亡くなるときに、ぼくは東京の劇場のトイレで母親からの電話を切った。

高知に帰った

そこから2日後、ぼくは東京から家に帰った。
夜行バスで帰ったから、朝6時、雨が降っていた。
家に帰ると、棺桶に入った父親が家に帰っていた。
うん。
全く受け入れられなかったね。
ぼく以外の家族は、最後を看取った。
どっちかっていうと、そっちの方が気まずかったな。お前なにやってるんだよってぼくなら思う。
まあ、そんなこんなで一通りのことを終わらせて冬がやってきた。
父親の死を受け入れたのはそれぐらいの時期かな。

自分は何をやってんだろう。
こんな酷いことをしたなら、夢を実現しないと親不孝だろ。

そう、思って、ぼくは実家を逃げ出すように上京した。

覚悟はあるが目標がない

自分は役者でどうなりたいか、そんな目標設定はありませんでした。飯が食えるようになるということの意味も分からず、ただ好きなことを自分の好きなようにやってきて、劇団もいくつか変えて、本気になれる劇団にも出会えて、心も身体も変化していって、色んなことを考えて今にいたります。

もし、今、夢がある人は
めっちゃ具体的に夢を実現させるために何をいつまでに達成すると決めた方がいいですよ。

若い頃にそれを理解するのは不可能なんだけど、ぼくは僕にいいたい。

覚悟だけだと、夢はかなわない。

親の死に目を見れないのが役者だとか聞きますが、そんなのくそくらえですね。
親に最後の別れは言うべきです。
役者とか関係ない、人間として。

今はどうか。

覚悟は心底にあるので、何歳までに何をやって、自分がどうなりたいかと、具体的な目標を立てています。
役者やりたかったらやればいいし、別のことをやりたかったらやればいいけど、何歳までに何を達成するって決まってるのでぶれません。

演劇の世界に戻っても、飯は食えないでしょう。
今の生活を崩してまで立ち向かう覚悟はありません。

ただ、悔いのない人生をおくる覚悟は育ちました。

誰に何を言われても、帰らなかったあの時と同じです。
誰に何を言われても、自分の人生を生き抜きます。

それがある意味、親孝行?なのかな?

親だけど、まだ分かりません。

まあ、妻と娘には幸せになってもらいたいので、ぼくはこれからも生きて頑張ります。

よらしくぅ

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