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神のみこころと絵を描くこと

私は昨年、教会で洗礼を受けたばかりのクリスチャン(プロテスタント)です。長年、絵を描いていて、絵を描くことが本当に神のみこころなのか、人の役に立つことなのか、悩んでいました。
絵を描く理由がわからなかったのです。美大の教授に聞いたこともあります。けれど、返ってきた回答は、自分が楽しければいい。それだけでした。
そこで、教会の牧師さんにも聞いてみました。牧師さんは聖書を開き、興味深い「タラントのたとえ話」を教えてくださいました。
タラントのたとえ話はマタイによる福音書の25章に書かれています。以下、聖書(新改訳)を引用します。

14 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。

15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。

16 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。

17 同様に、ニタラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。

18 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。

19 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算した。

20 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』

21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

22 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』

23 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

24 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。

25 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたのものです。』

26 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。

27 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。

28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』

29 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられるのです。

30 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

この聖書箇所を牧師さんと一緒に読みました。この箇所ではタラントはお金の単位ですが、英語ではタレント、つまり才能を意味します。タレントが才能という意味になったのは、このたとえ話によるものなのですよ。と牧師さんは言いました。

つまり、神さまから頂いた才能は、神さまのために豊かに生かすべきで、いつか行われる審判のときに神さまに喜んで頂けるように、才能を生かすことが神のみこころなのではないかなぁと思います。

単に才能を生かしてお金儲けをしろという意味ではなく、与えられた才能を神さまに喜ばれる使い方をする。

例えば、絵でいえば、真っ先に思い浮かぶのが星野富弘さん。彼は、教師でしたが事故で身体が不自由になり、筆を口でくわえ絵を描いています。その詩や絵は多くの人の心を動かしました。彼もクリスチャンです。

私には星野富弘さんほどの才能はないかもしれません。けれど、神さまはわずかなものに忠実であるように。とおっしゃっています。

私も、わずかな絵の才能を生かしていきたいものです。

神さまの目から見たら、私たちは大きく的外れな事をしているかもしれません。しかし、神さまはそれを大きな愛で受け止めてくださっていると思います。

神さまの国に帰るまで、神さまにを仰ぎ見、感謝し、忠実に働くしもべとして生きていきたいです。



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